親鸞聖人は、妙好人のことを「信心の人を釈迦如来はわが親しき友なりとよろこびまします。この信心の人を真の仏弟子といへり、この人を妙好人とも、最勝人とも、希有人とも申すなり。」と仰ってます。

第2回 瀧山真理さん

妙好人お二人目は、華光会館で事務をしている瀧山真理さんです。ご法話中の瀧山さんの笑い声は華光名物となっています。華光会のCDには瀧山さんの笑い声がほぼ収録されていると言っていいでしょう。

私が最初に華光会館にお参りしたときは、近鉄十条駅からわずか徒歩3分のところを迷ってしまい、表まで出て手招きしてくれました。阿弥陀様の招喚と味わえました。

もともと富山県のお寺の生れですが、ご縁があったのは2泊3日の西光義秀先生の真宗カウンセリングです。約30年前のことで、松岡宗純先生なども参加されていたそうです。

当時は、造園業の会社の秘書をされており、2ヶ月に1回くらい、法座に参加していました。仏法を聞いて、虚仮不実の自分が照らされ、「自分の身体も滅ぶんですか?」と愕然とします。

教えを聞けば聞くほど、自分のモノガラが知らされ、これは助からんぞ!と地獄一定の姿に泣きました。そして、私一人に願いをかけてくれ、大事にしてくれる阿弥陀様がおられる、生きて働いておられることが知らされました。

悟朗先生からは「あんたはそのまま聞いてきたな」と仰ったそうです。

熱心に、未信の方にかかわって勧める姿は、まさに菩薩さまです。座談会でも、カウンセリングで鍛えたヒヤリング力で、丁寧に聞いていきます。

私にとっては、菩薩さまと同時に、経理担当者です。少し失礼なことでも口走ろうものなら、情け容赦なく、パンチがみぞおちに飛んできます(誇張ではありません)。

この原稿を書くに当たって、インタビューをさせてもらいましたが、うちのヒカリと意気投合したようで、厳しい指導が内からも外からもありそうです。

2015年8月

第1回 増井悟朗先生

今月号から始まります「妙好人列伝」。第1回目の登場は、妙好人というよりも、私にとっては善知識になります増井悟朗先生です。

善知識とは、仏法を正しく導いて下さる先生をいいます。反対に悪知識に従っていては絶対に助からないとも言われます。阿弥陀様とのお取り次ぎをされるのが善知識です。

増井悟朗先生は1925年(大正14年)生まれで、2015年6月7日の誕生日で満90才になられました。ほんの数年前まではご法話をされていました。現在は華光会館での座談に時々顔を出されます。私が出会った頃は82才で、当時は毎週のように説法、座談をされていました。

悟朗先生は17才の時に肺結核を患い、懲役検査に受からず、戦時中は療養生活をしておられました。『心に咲く花』という有難そうな本を注文したら、あやまって『仏敵』(伊藤康善著)が送られてきたそうです。

まず書名に驚かれましたが、もっと驚いたのは、想像を絶する信仰体験でした。最初は信長のことを書いた本かと思われたそうですが、著者が仏教大学(現在の龍谷大学)に通っているときの、求道物語が綴られています。

序文に「この書は、3回読んで、3回とも意味が変わらねばだめだ」と書かれており、連続3回読まれます。息子さんの増井信先生のお話では、この3回というのは、信前・信一念、信後のことだそうです。

「もし獲信できずば、治病すとも床から立たじ」の決意を固め、3ヶ月ほどの求道のすえ、翌年2月に獲信されます。この時のお話は、座談のなかで何度も聞かせて頂きました。

悟朗先生にとっては、伊藤康善先生が善知識となられます。「華光誌」を創刊されたのが伊藤先生。「華光会館」を創設されたのが悟朗先生となります。

悟朗先生の座談は厳しいものでした。求道中は、先輩からの勧めもあり、悟朗先生の座談にばかり参加していました。今年の永代経の座談では厳しいご指摘を頂き、つまらんこと(世間事)を話してしまったと反省しました。まだまだご健在です。

2015年7月

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