第67回 平阪彰さん 上

1950年生まれで2020年で70才の平阪さんです。飛騨高山の高校を卒業後、日本電信電話公社(現在NTT)に就職します。55才からお寺での「正信偈を読む会」に参加していました。国府町(現在高山市に編入)の年1回発行の機関紙に「何のために生きているか」の題で随筆を書きます。

その文章を舟本民子さんが読んで、法座に誘わなければと思います。平阪さんの奥さんが民子さんから民謡を習っていた関係で、奥さんを通して法座に誘われます。それが60才のときでした。その一年くらいまえから、仏様は私のようなものを呼んでくださっているとどこかで思っておりました。そう思うたびに、胸が締め付けられ呼吸が苦しくなってきます。その年の華光会の「壮年の集い」に参加します。

増井悟朗先生の分級で同じく高山の大坪逹也さんが司会でした。念仏を称えて号泣します。しかし、大泣きしても何も変わっていないことに気付きます。念仏だけは出るようになりました。ナチス強制収容所体験をつづった『夜と霧』を読み、何の為に生きているのかを問い続けても無駄なことかと思えてきます。「人生があなたに期待している」ことを考えなさいとありました。その「人生」を「仏様」に置き換えてみて、転換します。

翌年1月の報恩講で増井信先生のご法話で三信は仏様の心ですと聞きました。そこでハッとします。獲信するのは、私の気持ちは関係なく、仏様の呼び声にハイと返事するだけだと、素直にハイと返事ができました。その時の松岡宗淳先生の分級で、ハイと返事できましたと報告します。何か印しがあるんじゃないかと2~3ヶ月考え続けましたが、お前の心は何も関係ない、何かをみつけても何も関係ないことだと判らせてもらいます。

しかし、後生の一大事がわからない。モヤモヤしています。現在地を知りなさいと言われます。

2021年1月

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