第33回 孤杉信子さん

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孤杉英章先生のお母様の信子さんです。教行寺(大谷派)の坊守さん(ご住職の奥さん)です。伺った時は、ご門徒さんの逮夜参りから戻られたところでした。

ご実家は真宗興正寺派のお寺です。小さい頃から、お母さんに付いて多くの寺参りをしていました。実家のある八木町から電車で5分の大和高田市のガラス屋さんの家庭法座では、毎月19日、伊藤康善先生のご法話を聞きます。伊藤先生は栗のように黒い顔で面白い先生だったそうです。

勉強ができて、高校では「陸の女王」(スポーツ万能)といわれていたお姉さんと、両親の4人家族でした。とても可愛がられて育ちます。高校生の頃はふっくらとして「お月さん」と呼ばれていました。

奈良教育大学に進学します。その頃、高田の御坊に5日間(午前は講義、午後は説教)や八尾別院(夏休みに宿泊してこれも5日間)でたっぷり聴聞できました。卒業後、小学校の先生を20年間勤めます。その間、6人兄弟の長男となる御住職(現在)と結婚し、25才で長女を、28才で英章先生を出産します。

増井悟朗先生が教行寺にはじめて来られたのは1991年9月の秋季永代経でした。それ以来、1年に1回来て頂きました。法要の翌朝、先生の朝食の時間は、信子さんにとって二人だけの至福のときでした。

31才の時に小さな手術をし、病院からタクシーで実家へ直行、すると永代経が勤まっていました。翌朝、目覚めるなり本堂へ行きました。あとから本堂に来た吉阪布教使(女性)にアミダ様のことを聞いてみようと思いました。5分間ぐらい話しているうちに突然、頭の片側がもやで覆われ、もう半分の頭が何やらつぶやいている。「ああ、このままやったんか。このままでよかったんや!」。突然、念仏がほとばしり止まりません。号泣も止まりません。天にも昇る心持ちになりました。

悟朗先生は信子さんにとってアミダ様、アミダ様の化身だったのです。何と勿体ない、申し訳ない。ありがたいの他はありません。ご自分のことはほとんどお話したことがないとのことですので、貴重なお話を聞かせて頂きました。

2018年3月

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