生死出づべき道

第127回 生死出ずべき道7 妙好人お軽同行7

最後にお軽さんの「こうも聞こえにゃ」の歌です。 「こうにも聞こえにゃ」 こうも聞こえにゃ聞かぬがましよ 聞かにゃ苦労はすまいもの 聞かにゃ苦労はすまいといえど 聞かにゃおちるし聞きゃ苦労 今の苦労は先での楽と 気休めいえど気はすまぬ すまぬ...
生死出づべき道

第126回 生死出ずべき道6 妙好人お軽同行6

「たかい山からお寺をみれば、御恩とうとやたからやま、たから山には足手をはこぶ、むなしかえりをせぬがよい」 と歌われます。蓮如上人は、この法に出会っても聞き開かなければ、宝の山に入って、手を空しくして帰るようなものだと仰いました。阿弥陀様から...
生死出づべき道

第125回 生死出ずべき道5 妙好人お軽同行5

「領解すんだるその上からは ほかの思案はないわいな。ただでゆかるる身をもちながら おのが分別いろいろに おのが分別さっぱりやめて 弥陀の思案にまかしゃんせ」とお軽さんは言われます。自分の分別をサッパリやめて、弥陀にまかせなさいと。吉貞翠江さ...
生死出づべき道

第124回 生死出づべき道4 妙好人お軽同行4

伊藤康善先生の『仏敵』では、伊藤先生と同部屋の北村という友人が寮の先生に「本願成就文にある聞其名号の聞の一字が解りません。・・・あの聞の一字が解らないために・・・」と号泣します。妙好人の三河の七三郎は若い時にお喚び声が聞こえなくて、ああでも...
生死出づべき道

第123回 生死出づべき道3 妙好人お軽同行3

昭和30年のお軽同行の百回忌法要では、本願寺から大江淳誠和上、山本佛骨和上、桐渓順忍和上などが訪れ、お軽さんを偲んでそれぞれ歌を残されていました。 今回は、お軽さんの歌の中から、「六光」「ある年の御正忌報恩講」「こうも聞こえにゃ」を取り上げ...
生死出づべき道

第122回 生死出づべき道2 妙好人お軽同行2

『教行信証』には、「急作急修して頭燃を灸ふがごとくすれども、すべて雑毒雑修の善と名づく。また虚仮諂偽の行と名づく」とありますが、頭について火をはらうように求めても、すべて雑毒の善であり、嘘、偽りの行であったと仰っています。でも、お軽さんは、...
生死出づべき道

第121回 生死出づべき道1 妙好人お軽同行1

『仏敵』の中で、で伊藤康善先生は、「同行学をしなさい」と堀尾ヨシさんから言われ、華光会では同行学を重んじられてきました。昔の妙好人は、言行録や伝承されたものしかありませんが、今、現在に生きている妙好人からは、直接、求道の課程、現在のお味わい...
妙好人

第120回 山崎隆弘 その7       

龍谷大学大学院に通学しているときに、ときどき丸坊主になっている学生がいます。浄土真宗本願寺派で得度を受けたとのこと。2週間缶詰の合宿に参加しなければなりません。その間、電話、スマホは厳禁です。仕事をしている限りはムリだなと諦めていましたが、...
妙好人

第119回 山崎隆弘 その6 

悟朗先生からの「君のその口から出ている念仏が阿弥陀様の喚び声やないか」に大きな頷きを得ました。大会後、帰りに瀧山さんから「どうでした?」と尋ねられ、私のご示談に随分と時間を取って頂いたので「私一人のために」と言っただけで、瀧山さんは泣いて喜...
妙好人

第118回 山崎隆弘 その5     

二三代さんがご法座に参加するようになり、信先生、瀧山さんなどは、これは奥さんの方が先に聞くのではと言っていたそうです。周りもそのような雰囲気となり、座談では二三代さんにお勧めをします。ここで偉かったのは「いえ、主人がまだ聞いていませんので」...