生死出づべき道

第3回 生死出ずべき道 妙好人お軽同行 その3

昭和30年のお軽同行の百回忌法要では、本願寺から大江淳誠和上、山本佛骨和上、桐渓順忍和上などが訪れ、お軽さんを偲んでそれぞれ歌を残されていました。 今回は、お軽さんの歌の中から、「六光」「ある年の御正忌報恩講」「こうも聞こえにゃ」を取り上げ...
生死出づべき道

第2回 生死出ずべき道 妙好人お軽同行 その2

『教行信証』には、「急作急修して頭燃を灸ふがごとくすれども、すべて雑毒雑修の善と名づく。また虚仮諂偽の行と名づく」とありますが、頭について火をはらうように求めても、すべて雑毒の善であり、嘘、偽りの行であったと仰っています。でも、お軽さんは、...
生死出づべき道

第1回 生死出づべき道 妙好人お軽同行 その1

『仏敵』の中で、で伊藤康善先生は、「同行学をしなさい」と堀尾ヨシさんから言われ、華光会では同行学を重んじられてきました。昔の妙好人は、言行録や伝承されたものしかありませんが、今、現在に生きている妙好人からは、直接、求道の課程、現在のお味わい...
妙好人

第120回 山崎隆弘 その7       

龍谷大学大学院に通学しているときに、ときどき丸坊主になっている学生がいます。浄土真宗本願寺派で得度を受けたとのこと。2週間缶詰の合宿に参加しなければなりません。その間、電話、スマホは厳禁です。仕事をしている限りはムリだなと諦めていましたが、...
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第119回 山崎隆弘 その6 

悟朗先生からの「君のその口から出ている念仏が阿弥陀様の喚び声やないか」に大きな頷きを得ました。大会後、帰りに瀧山さんから「どうでした?」と尋ねられ、私のご示談に随分と時間を取って頂いたので「私一人のために」と言っただけで、瀧山さんは泣いて喜...
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第118回 山崎隆弘 その5     

二三代さんがご法座に参加するようになり、信先生、瀧山さんなどは、これは奥さんの方が先に聞くのではと言っていたそうです。周りもそのような雰囲気となり、座談では二三代さんにお勧めをします。ここで偉かったのは「いえ、主人がまだ聞いていませんので」...
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第117回 山崎隆弘 その4     

2007年の47才から改めての求道となりました。世間的には、米国のサブプライム住宅ローン危機からリーマン・ショックとなり世界的な大不況となっていた時期です。 華光大会、報恩講、永代経、壮年の集い、毎月の聖典講座と、京都に出掛けるようになりま...
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第116回 山崎隆弘 その3          

九大病院退院後に、41才のときに親父の会計事務所に入所します。公認会計士を勉強しているときには、税理士の親父は「お前が受かるハズがない」の一点張りでした。なので、ずっと監査法人のつもりでした。 30代の頃から、通勤電車のなかで『教行信証講義...
妙好人

第115回 山崎隆弘 その2      

24才でS会は退会し、地元の福岡に戻ってきます。後生の一大事の解決は今生ではできそうもないことに落ち込みました。後生暗い心、私の場合は身体的にお腹がとても苦しくなってきます。 お腹が苦しいことを、S会のT会長に書面で質問したことがあります。...
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第114回 山崎隆弘 その1     

この妙好人列伝は、増井悟朗先生が2015年8月に往生される前の月の7月号からスタートしました。第1回で悟朗先生に登場して頂き、ギリギリ「現代に生きる」に間に合いました。その年の5月の永代経の座談では厳しいお言葉を頂いていましたので「まだまだ...