
最後にお軽さんの「こうも聞こえにゃ」の歌です。
「こうにも聞こえにゃ」
こうも聞こえにゃ聞かぬがましよ 聞かにゃ苦労はすまいもの
聞かにゃ苦労はすまいといえど 聞かにゃおちるし聞きゃ苦労
今の苦労は先での楽と 気休めいえど気はすまぬ
すまぬ心をすましにかかりゃ 雑修自力とすてられる
すてて出かけりゃなお気がすまぬ 思えば有念 思わにゃ無念
どこに御慈悲があるのやら どうで他力になれぬ身は
自力さらばといとまをやり わたしが胸とは手たたきで
たった一声聞いて見りゃ この一声が千人力
四の五の云うたは昔のことよ じゃとて地獄は恐ろしや
なんにも云わぬがこっちのねうち そのまま来いよのお勅命
いかなおかるも頭がさがる 連れて行こうぞ連れられましょうぞと
往生は 投げた 投げた
「こうも聞こえにゃ聞かぬがましよ 聞かにゃ苦労はすまいもの 聞かにゃ苦労はすまいといえど 聞かにゃおちるし聞きゃ苦労」と、信前の、聞かせて頂く前の苦労を言っています。私も求道中はこの心境でした。わざわざゴールデンウイークに華光会に行かなくてもいいのに、聞かなければ後生は一大事です。この後生の一大事を知らせてもらった身は、それをほっておくわけにはいきません。
私も19歳で、後生の一大事を知らされて、それから24歳まで「後生に一大事があるぞー」と、ずっと勧誘をしていたら、身体に沁み込んでしまって、放っておく訳にはいきませんでした。その23年後に華光会に出偶いますが、なかなか聞かれずに、福岡に戻っては八つ当たりをしていました。
「今の苦労は先での楽と 気休めいえど気はすまぬ」で、今、苦労して京都まで聴聞しているからこそ、先では楽が待っていると気休めをいっても、苦しいばかりです。「すまぬ心をすましにかかりゃ 雑修自力とすてられる」。いろいろと思案して心をこねくりまわしても、全て自力とはねつけられます。「すてて出かけりゃなお気がすまぬ」。自力を捨てたと思っても、自力はすたりません。他力でとっていただかなければなりません。「思えば有念 思わにゃ無念、どこに御慈悲があるのやら」と、思ってもダメ、思わなくてもダメとはねつけられます。どうしたら救われるのだろうかと、阿弥陀様を恨みに思ったりするヤツです。
ここでお軽さんは、「どうで他力になれぬ身は 自力さらばとひまをやり」と、どうしても他力にはなれない身は、自力はさようならとヒマをやって、「わたしが胸とは手たたきで たった一声聞いて見りゃ この一声が千人力」。阿弥陀様の喚び声を一声聞いたのが千人力なのです。その身になってみれば、「四の五の云うたは昔のことよ」で、頭では理解できますなど、とんでもないことを言ってたり、理屈をこねていたことが吹っ飛んでしまいます。阿弥陀様の頭の上であぐらをかいている限りは聞けません。とんでもない自惚れ野郎です。私も求道中、華光会の虎の穴のような日高支部に行かせて頂いた時、一番印象的だったのは、「頭を下げなさい、頭を下げなさい」と強く言われたことです。聞けないのは阿弥陀様のせいではなく、自分の方に問題があります。聞けないと駄々こねているのは、阿弥陀様の修行が足りんと言っているようなものです。この法は頭が下がらないと聞くことができません。
「じゃとて地獄は恐ろしや なんにも云わぬがこっちのねうち」。こちらからは何も言うことはありません。ただ「そのまま来いよのお勅命 いかなおかるも頭がさがる」で、値打ちがない自分を知らされて、お軽さんも頭を下げ、弥陀の本願招喚の勅命を聞かせてもらわれました。「連れて行こうぞ 連れられましょぞと」、阿弥陀様は浄土に連れて行くと仰っているから、そのまま連れて行って頂きましょう。「往生は 投げた投げた」と、助けるのは阿弥陀様のお仕事です。阿弥陀様のお仕事を凡夫が取り上げてはいけません。ただ聞かせて頂くだけです。
最後に、加賀の小松の森はな同行のお言葉を紹介します。
「称える称名 われがとおもうた そうでなかった 弥陀の喚び声 ああ ありがたい 南無阿弥陀仏 地獄一定よと おもうてみれば 地獄 極楽 用事なし」。
(令和6年4月28日 華光会永代経法要法話より)