京都市伏見区の藤井幸子さんです。ご自宅が華光会館の近くで、近所の子ども達が会館の書道教室に通っているのを見て、長男の英志さんを小学1年生から通わせます。翌年には華光子ども大会にも参加し、「楽しかった!」と話してくれました。
小さなタバコ屋経営で働きづめのご主人は、英志さんのお話を聞いて「一緒にお参りしよう」と幸子さんを誘います。幸子さん自身は興味を持てずに、自分一人でもお参りしようかという矢先に、ご主人が突然の病気で入院し、そのまま2ヶ月後に帰らぬ人となってしまいました。
生前のご本人の希望に添う形で増井信先生に葬儀をして頂きます。幸子さんは永代経に誘ってもらい、お礼のつもりでお参りすることになります。お参りするあたって英志さんから「途中でやめたらあかんで」と言われます。「途中で」の意味が今ひとつ理解できませんでしたが、行ってみてビックリ! 皆さん、念仏を大きな声で称えていて「こんな騒がしいところはかなわんな~」と思います。
それが17年前で、ご法座などの行事に参加し、求道が始まりました。そこではじめて「途中でやめたらあかん」の意味がわかります。お話を聞いて有難くなって喜んでいると「それは縁他力や」と英志さんに否定されます。なんだか判らなくなってきました。
会館での華光誌輪読法座が始まり、初回から参加します。大勢の座談ではなかなか本音を言えなかったところが、水谷法子さんが自性をそのままさらけ出すのを聞いて、肩の力が抜けてものが言えるようになります。
輪読の後にはファミレスで1時間以上、水谷さんたちと話し込んでいました。あるときの輪読法座で自分の口から次々と本心が出てきて、腹底が空っぽになります。信先生がお話してくださり「ハイ」と返事をしてお仏壇の前に行き、念仏をさせてもらいました。胸がホコホコと温かく、歓びを隠そうにも隠しきれません。いつもは「今日はどうだった?」と聞く英志さんがその日に限って何も聞きません。翌朝、心境を語ると、いつもと全然様子が違っていたそうです。
私の分級座談にもよく顔を出され、お味わいを述べられます。分級常連の水谷さんは2020年2月22日に浄土に参られました。南無阿弥陀仏。
2020年5月