M和上からの文書に載っている話です。三田老人の奥さんが臨終に、「聞かぬじまいで死んでゆくのが悲しい。一言お教え下さい」との問いに、原口和上は「5年10年聞いても、いよいよとなるとまた今日と同じことになるぞ。どれほど聞いても聞いても、聞いておいてよかったわいとう所詮は、わが心の上には出てこぬぞ。よって聞かぬじまいで死んでゆけ。そのまま死なせてもらえ」といいながら、「私は学寮へ急ぐので、また来てもいいが、来たとしてもこれだけじゃ」と言って行ってしまわれます。
吉貞さん自らが、臨終で聞くかもと期待していましたので、原口和上の「聞かぬじまいで死んでゆけ」ということが引っかかってしまいます。吉貞さんは、「死んでいけ」と言われた人が自分のことのように思えてきます。広島の聖典講座やZOOMでご一緒している三田さんに尋ねてみます。三田さんは、松塚先生のお弟子さんで教師をされていて今は僧侶になっている方です。
日頃は三田さんはおとなしい方なので、優しいことでも言ってもらえるのではと「この人はどうなるんですか?」ときくと、三田さんは大きな声で「堕ちるんですよ! 堕ちることしかしとらんじゃないですか!」と言われます。吉貞さんは「あ~、堕ちるんか」と沈んでいきます。三田さんは「助けるのは仏さんの仕事ですよ!」と大きな声で言われました。「あ~、そうだった!そうだった! 私は自分で自分を助けようとしとった」と気付きます。「いらんことしとった! 自分でどうにかしょうと思っとったけれども大間違いだった」とわからせてもらいました。
吉貞さんは「それだけなんですよ。あと何にも無いんですよ」と言われ、「自分でどうにかなると思とったけれども、全然、間に合わんことだった」と言われます。素晴らしい。60年間、聴聞してきましたが、聞き開くのはアッサリしたものでした。他になんにもありませんと言われます。涙ながらに語られて、私はとても感動し、感銘いたしました。