第13回 早田節代さん

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兵庫県豊岡市日高の早田節代さんです。日高は伊藤康善先生時代からのご縁の深いところです。節代さんによると、60数年前は伊藤先生のお供で増井悟朗先生が付いてこられ、悟朗先生または西光義敞先生のご挨拶の後、伊藤先生のご法話が月2回あっていました。

まだ京都の華光会館もなく、京都の三条詰所の旅館でご法座が開かれていた時代です。伊藤先生が来られる前は、無住寺に本願寺から鎌田先生という方が派遣され、日高で獲信者がたくさん出られて、村中が火事になったみたいにご法に燃え上がったそうです。

節代さんは結婚され26歳のときに、悟朗先生のご法座に遇いました。当時は、1週間日高に滞在され、朝・昼・晩と御法話がありました。無常感をとりつめ、今夜、絶対に死ぬと思い詰めてご示談に向かわれたそうです。

当時の心境は、4人姉妹の3番目で、一番上の姉はお嫁に行って家を出た。2番目の姉が家を継いだから、家のことは心配ない。だから死ぬ気で聞いたそうです。夜の12時までに聞けなければ、死のうの決めていたといいますから凄い話です。

実際に、時計の針が12時を指したときに、悟朗先生に「ちょっと用事ができましたので」と断って、近くの自殺の名所になっている、近所の川に身投げするために中座したというから半端ではありません。仏間から外に出ようとしますが、高く感じて降りれません。悟朗先生の前に戻ってきて、お仏壇のお名号の前で念仏すると、「ギャー」という念仏が出て意識不明になります。日高では一番に聞かせてもらったそうです。

私は求道中に、悟朗先生の日高法座で、早田さんの家に泊めてもらった際、座談のときには先生の真正面に座って聞かせてもらわないとダメだと教えていただきました。お陰様で、聞かせて頂きときは、まさに先生の真正面に座っており、二三代さんから尻を押し出され、やっとの思いで聞くことができました。

昔の方は、大変な覚悟のなかを求めたことを、改めて聴かせてもらいました。現在は、宝塚市の娘さんの立派なお宅でお暮らしです。

2016年7月

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