平成11年の永代経の3日間で、松岡宗純先生から何度も、阿弥陀様のことを聞かせて頂きます。それでも「体験が欲しい」という根岸さんに、「まだ何かできるとおもっているの?、納得するような根岸君でないことを阿弥陀様はご存知でその上で、そのままでいいと言ってくれてはる」と松岡先生です。こうなったら「うん」というしかないかと「うん」と答えると、「”うん”などと言える根岸君ではないだろう。阿弥陀様が”うん”と返事してくれている」と教えてくれます。
説得されてしまったと感じて、帰りの車中で振り返ってみると、不思議なことにわかるもわからないもないな。全部自分の仕事ではなかったなと思います。なぜ今まで体験が欲しいとか、納得したいとか言っていたのだろうと、うれし涙の中で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えました。
2週間ほどでその喜びも薄れ不安も出てきますが、”自分には全く力がない”と満足します。その後、教員採用試験に受かり、栃木県で採用され進学校の教員となって忙しくなり、華光会館から足が遠のきます。平成15年にお父さんが肝臓ガンでお亡くなりになります。当時の華光会東京支部長の古家さんの家庭法座に月1回お参りはしていました。
10年ほど経った平成23年に、工業高校に転任します。時間に余裕ができて再び華光会館に行くようになります。そこからは私も根岸さんを傍で見てきました。今回のインタビューで私よりも大先輩ということを知りました。
現在は進学校の佐野高校に転任となり、再び忙しくなりましたが、東京支部長としてご活躍です。コロナ禍で電話でのインタビューとなりました。
妹さんの薄千恵さんは、ご両親の病気により、同じく仏法を聴くようになります。次回はその千恵さんに登場して頂きます。