第101回 山崎光さん 下

光は二三代さんと二人でよく筥崎宮の参道を散歩しています。その時に、いろいろと会話しているそうです。ある日「一度きりの人生やけん」と言った光に対して二三代さんは「ほんとうに一度きりかな?」と返し、心がザワつきます。

2020年、コロナ禍になっての家庭法座での座談で、光の発言が変わってきました。親に対する思いや、姉妹のことを心配することを話すようになってきました。発言のたびに涙ぐんでもいます。信先生からは「結局は、光ちゃん一人のことなんですよ」と声をかけられます。

秋の大分法座で、悟朗先生のピラミッドの絵を見せられ、ピラミッドの下には「仏さま(地獄)」が書いてあり、体験記には「いろんな犠牲の上に私がいるんだということが目に見えて分かりました。本当に、私は自分が一番で、何もかも自分一人で手に入れてきたように思ってしまいます。それをすべて受け止めてくれる、一緒に落ちてくれるのが、仏様です」と記しています。

「私はそれ以前に、自分が助けられないといけないような身であることすら、自覚していませんでした。信心とは、自分が信じるということではなく、南無阿弥陀仏と称えること。私には信じる心も何もないんだ…と気付いた時、肩の力がフーッと抜けました」と書いています。

コロナ禍で、2020年の後半に、毎月のように、永代経、華光大会、そして年明けの報恩講と続き、それまで3日間の法座だったものが2日になってお参りやすくなったこともあって、家族でお参りしていました。

報恩講の分級で、瀧山さんから「お父さん、お母さんはお浄土に行けるけれども、光ちゃんはそこに行けなくていいの?」と尋ねられます。「自分も同じお浄土に行きたい」と強烈に思い、その場で聞き開いたと二三代さんから教えてもらいました。別の分級だった私は思わず光の肩をたたき、「光は聞けると思いよったよ」と喜びました。今生のみの家族ではなく、後生も同じ浄土に生まれる身となり、こんなに嬉しいことはありません。常々、二三代さんは私にとっての観音菩薩と言っていますが、光ちゃんは私に最も厳しい勢至菩薩と味わっています。

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