京都市在住の大谷理恵さんです。京都精華大学芸術学部出身です。27才頃、妊婦ヨガ教室で、京都市立芸術大学出の久保裕子さんと出会います。まずは芸術の話で盛り上がります。
当時まだ3才と0才だったお子さんを連れて、日曜礼拝に通い出します。月1回の仏教青年会のディスカッションにも参加するようになり、「なぜ生きているか?」などのテーマを決めて話し合い、答が出せない答を探していました。
そのうち、大人の法座にも出るようになります。ターニングポイントが3回あったそうです。何も求めていませんでしたが、2008年に、お同行の熱心さにのまれ信心の話となり、「地獄堕ち」を知らされ苦しみます。もう絶対聞けないと諦めて気分転換に参加した”聞き方の会”で、突然聞き耳をもらいます。怖いほどの喜びが襲います。
2回目は2009年です。聖典講座の後、増井悟朗先生にご示談をお願いします。そして3回目は2010年、実母が急死する直前に、増井信先生を通して機の真実が知らされます。喉の奥が突然ガバッと開き、真っ黒な腹底からお念仏が突き出てきました。
信先生の『観無量寿経』の聖典講座へ参加した際の、メーリングリストへの投稿文章です。
「三悪道の火のあなに落ちて泣いている私を見た阿弥陀さまを、立たせてしまったのは、私。大悲の親様が、今すぐお前を救いあげないと間に合わない!と、泥凡夫の私をつまみとり、ただちにお浄土へ連れて還ろうとされている。善知識様の口を通して、真っ白いお心をまっすぐ届けてもらえることが心から嬉しい。―こんな私には勿体ない、こんな私なんて―という心が仏敵そのもの。こんな私やからこその大悲願の親心。わかるわからんは必要なくて、わけわからんくらい大きすぎて。はぁやっぱりどうやったかって幸せや。もう戻れん」
最近は、二三代さんとよくメールしているようです。
2019年2月