高山での法座の最中、昼過ぎに京都に帰ろうとしたところで、なんと増井悟朗先生が「帰るのか。それならお見送りをせんとな」と出てこられます。梶谷さんと井上さんが車に乗って出発しようとすると、悟朗先生がニッコリ笑って片手を挙げて「ご出棺でーす」。
車の中で、ゲンの悪いことを言われるな~と話していたら「ちょっと待てよ」となります。意味の無いことを先生が言われるだろうか?「言わない」。どういう意味だろうかと考えます。クネクネの山道で今にも落ちそうです。沈黙の後、井上さんが顔をこちらに向け、「おい、先生は『お前たち、明日のことを気にして早く帰ろうとしているが、本当に無事に帰れると思っているのか?』と言いたかったのと違うか?」。
「そうや、その通りや!」。真っ逆さまに地獄に堕ちていく自分の姿が見えました。井上さんと二人してパニック状態になります。「エライこっちゃ! 堕ちていく!」となります。所詮、自分は堕ちていくしかないんやと自他力の廃立がたちます。この時の恐怖は、何年経っても忘れることができませんでした。
最近は、梶谷さんは私の分級によく参加され、お味わいを聞かせて頂いていますので、今回のインタビューをさせて頂きました。全ては始めに悟朗先生ありき、だったそうです。最後に、この原稿のやり取りのなかで頂いた、梶谷さんご自身の文章です。
「考えてみると5年のブランクも決して無駄ではなかったと思っています。悟朗先生はよく『こっちが仏を忘れることがあっても仏は決してこっちを忘れることはない』と仰っておられました。この私の底無しの罪業の底に飛び込んで下さったのですから、どこに行くのも一緒なのは当然ですね。映画『ベルリン天使の詩』のピーター・フォークのようです『見えないが、いるな」という感じです。 南無阿弥陀仏」
2020年11月