第106回 吉貞翠江さん 中

20才から仏法に出会って求め始めますが、なかなか聞き開けません。これはもうダメなんじゃないかと思います。

2009年2月に華光会のインド仏跡旅行がありました。私の家内もそこで始めて華光会と縁を結びます。そこに吉貞さん等広島からも4名参加していました。金山玄樹先生は新婚旅行として参加していました。

2014年4月に仏青と九州支部の合同法座が金山文雄先生の浄圓寺で催されました。全国から同行が集まり、広島からもたくさんお参りされます。吉貞さんはたまたま隣りに座っていた私に、「このままでは聞けない。自分は臨終に聞くんじゃないか?」と尋ねます。私の記憶にはないんですが、私は「あっ、それでは間に合いませんよ」と言ったそうです。そうか、間に合わないかと思い、金山先生からも年を取れば取るほど聞き難くなると言われてしまいます。

相変わらず、京都の華光会館、広島の支部法座には参加していました。大きな喜びを得たことも、号泣念仏したことも数知れず。しかし、後になると、慶びは消え、違うとなってしまっていました。私自身も何度か、吉貞さんが喜んだという噂を耳にしました。50年近くそのような状態だったので、吉貞さんは西の横綱と呼ばれていました。

コロナ禍になって、リアルでの法座が途絶え、ZOOMでの法座が増えました。そんな時、富山のM和上から正木姉妹に宛てた文章が回ってきました。『信者めぐり』の「肥後原口針水師の法話」からの引用です。『信者めぐり』を記録した三田老人の奥さんが、九死一生の大病となります。奥さんは「まるきり聞かぬじまいで死んで行くかと思えば、それが何より悲しい」と訴えます。

そこで、早速、勧学の針水和上にかけつけ臨終説法をお願いします。和上は「それは大変じゃ、今直ぐ行ってやろう」と学寮に行く途中に病床を尋ねます。三田老人は奥さんを抱え起こして、どうぞお一言と申し上げます。

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