親鸞聖人は、妙好人のことを「信心の人を釈迦如来はわが親しき友なりとよろこびまします。この信心の人を真の仏弟子といへり、この人を妙好人とも、最勝人とも、希有人とも申すなり。」と仰ってます。

第16回 小田原広理さん

通称「小田原念仏」の小田原広理さんです。四国は高知県高岡郡に在住です。「小田原念仏」とは私が勝手に言っていますが、ご法座中、大きな念仏が吹き出すようにあふれてきます。華光会の法話CDには、小田原さんの常念仏と、瀧山真理さんの大きな笑い声が、だいたいセットで録音されています。

増井悟朗先生、西光義敞先生の還暦のお祝いの翌年の昭和61年に、華光会にご縁がありました。30年以上前、香川県高松市の高松興正寺別院で聴聞していた際に、興正寺派の僧侶から、興正寺派の学頭であった伊藤康善先生を紹介されました。そこで伊藤先生を創始者とする華光会館に連絡を取り、著作の『仏敵』を注文します。

早速、華光会の仏教青年会に参加し、ご示談を受けます。ただ、信を獲るまでには紆余曲折あったそうで、5年後の平成4年に獲信しました。元々、仏教に興味があり、大学もその方面に行きたかったそうですが、親の希望により公務員となります。

お話を伺うと、教学の広さにはビックリさせられます。浄土真宗に限らず、仏教の他の宗派のことも詳しく、仏教学者の名前も私なんかよりも随分とよく知っています。なぜか浄土真宗ではなく、約5年前に天台宗延暦寺で得度を受けます。カウンセリングを受けていた先生からのお勧めによるものだそうです。親鸞聖人がご修行された比叡山での得度です。

聞法旅行中に、因縁の比叡山でなぜ念仏があふれるのかということをお聞きしました。「なぜ南無阿弥陀仏さまを称えるかというと、仏様が読んで下さっているから、親様の呼び声が私の中に飛び込んで下さっているからです。南無阿弥陀仏さまになって私の口から出て下さる、私が称えようという気持ちもあるけれども、称え心も仏様がご廻向して下さり、自分には仏様を念じる心も信じる心も全くない。全てが仏様からのお手廻し、ご廻向としかいいがありません」南無阿弥陀仏。

2016年10月

第13回 早田節代さん

兵庫県豊岡市日高の早田節代さんです。日高は伊藤康善先生時代からのご縁の深いところです。節代さんによると、60数年前は伊藤先生のお供で増井悟朗先生が付いてこられ、悟朗先生または西光義敞先生のご挨拶の後、伊藤先生のご法話が月2回あっていました。

まだ京都の華光会館もなく、京都の三条詰所の旅館でご法座が開かれていた時代です。伊藤先生が来られる前は、無住寺に本願寺から鎌田先生という方が派遣され、日高で獲信者がたくさん出られて、村中が火事になったみたいにご法に燃え上がったそうです。

節代さんは結婚され26歳のときに、悟朗先生のご法座に遇いました。当時は、1週間日高に滞在され、朝・昼・晩と御法話がありました。無常感をとりつめ、今夜、絶対に死ぬと思い詰めてご示談に向かわれたそうです。

当時の心境は、4人姉妹の3番目で、一番上の姉はお嫁に行って家を出た。2番目の姉が家を継いだから、家のことは心配ない。だから死ぬ気で聞いたそうです。夜の12時までに聞けなければ、死のうの決めていたといいますから凄い話です。

実際に、時計の針が12時を指したときに、悟朗先生に「ちょっと用事ができましたので」と断って、近くの自殺の名所になっている、近所の川に身投げするために中座したというから半端ではありません。仏間から外に出ようとしますが、高く感じて降りれません。悟朗先生の前に戻ってきて、お仏壇のお名号の前で念仏すると、「ギャー」という念仏が出て意識不明になります。日高では一番に聞かせてもらったそうです。

私は求道中に、悟朗先生の日高法座で、早田さんの家に泊めてもらった際、座談のときには先生の真正面に座って聞かせてもらわないとダメだと教えていただきました。お陰様で、聞かせて頂きときは、まさに先生の真正面に座っており、二三代さんから尻を押し出され、やっとの思いで聞くことができました。

昔の方は、大変な覚悟のなかを求めたことを、改めて聴かせてもらいました。現在は、宝塚市の娘さんの立派なお宅でお暮らしです。

2016年7月

第12回 有田修司さん

地元福岡の有田修司さんです。有田さんは「博多しゃぶしゃぶ あり田」の大将です。

30才の頃から、自分の存在の不安に悩み、仏教、特に禅宗に引かれ、人格が変わるのではないかと、禅の問答集を読んだり、座禅を組んだりしていました。鈴木大拙師の「妙好人」を読んで浄土真宗にも興味を持ちます。

39才の時に増井悟朗先生の「こころの時代 求め・捨て・転じられる」(NHK)が放映され、先生に会おうと思いますが、機会を逸してしまいます。45才の時、同じく「こころの時代」で「主人は自分―後生の一大事」が放映され、華光会の壮年の集いに参加します。

悟朗先生の分級(座談)に参加します。夜の懇親会では、先生がコップを裏返されて「観念的だと法は入ってこない」と諭されます。聞かないかんとわかってくるが、砂を噛むような念仏しか出てきません。

「この念仏は自力でしょうか?」と尋ねると、先生は「念仏に自力も他力もない。それがはからいや」と言われ、アッと思います。翌日の分級で、「わからんわからん」と言っていましたが、奈良の柳原さんから「死んでいけますか?」と問われ、心を凝視します。「助かりたい、信心頂きたい」という心がなくなってしまい、疑いの塊が木っ端微塵となりました。自分は空っぽで何もない、しかし笑えてきて仕方なくなります。

華光会館に行く時には、福岡に戻るつもりがなかったそうです。聞かせてもらうまでここにいようと思っていました。大分の首藤さんから一緒に帰りましょうと誘われ、新幹線の中で三河のお園さんの「お差しつかえなし、ご注文なし」ですねと言われ、注文つけていたのは自分であったと思い知ります。

有田さんが若い頃、バイト先で内山悟さんと出会ったことが飲食の道に入ったとのことです。その内山さんは私の事務所のランチェスター勉強会に数年、参加されていました。不思議なご縁です。最近は、仏教勉強会の後は、勉強会メンバーと内山さんのバー「スペースワン」か、「あり田」に行くことになっています。

2016年6月

 

第11回 濱一子さん

広島の濱一子さんです。濱さんは40年前に、広島の山奥の栗栖初男さんのところに信心を尋ねに行っています。2日目にお仏壇の前で念仏が次々に吹きだしたときに、不思議な体験をします。茶色の部屋にいて前にスポットライトが当たっています。

スポットライトの横に仏様がおられ、「その光の中に入りなさい」と仰います。足がセメダインでくっついたみたいに動きません。すると右横から仏様の手が現れ、頭をわしづかみして光の中に入れてくれました。

一週間後、いつものお寺に聴聞に行くと、同行たちから「濱さん、おめでとう!」と言われます。ただ、一番仲のいいお友達が近寄らず何も言わないのに腹を立てます。その日の晩、お風呂に入っているときにお友達のことを考え「嫉妬しとるんじゃ」と思っていると、上から「お前は信心を獲たのを自分の手柄と思い違いしている」と仏様の声が聞こえてきました。

すると、腹底から鰯の内臓のような白と黒のはらわたみたいなものが出てきて、のど元まで来て、「南無阿弥陀仏」と太い声の念仏が喉を搔き分けるように出てきました。いっぱい持っていたイヤな思いが全部なくなって、スッキリします。その後は一生懸命念仏を称え、濱さんはその絞り出すような1回の念仏の時が、信一念だったのではないかと味わっています。

22年前に悟朗先生がNHKの「こころ時代」に出演され、正木敏子さんからのお勧めにより、華光会館にお参りするようになります。広島支部法座で法話テープ20本を借り、それぞれ5回づつ聞いて100回聞いたときに、自分の信心に間違いないと腑に落ちます。

私は体験発表させて頂いたとき、そして永代経で法話デビューさせて頂いたときには、とても慶んでくれました。節々でお世話になっています。

2016年5月

第8回 砂田和子さん

砂田さんは広島県尾道市にお住まいです。イチジクの木が90本植わっている広大な土地を、手入れが大変ということで、最近売却されたそうです。娘さんの安原芳江さんから、自家製のイチジクジャム、イチジクケーキなどを頂きました。

華光会館でのご法座では、必ずお見かけします。座談でも、昨年の高山法座の時には、大きな声でご示談されているのが、隣の部屋まで聞こえてきました。私も求道中には、悟朗先生の分級が終わった後「こちらにいらっしゃい!」と呼ばれ、正座して砂田さんのお𠮟りをよく受けていました。

今年、87才になられますが、報恩講では22時からの懇親会に参加されていました。まだまだお元気です。華光会の懇親会は0時過ぎてまで仏法談義が行われ、獲信の場ともなっています。

砂田さんは33年前にご主人を亡くされた後、増井悟朗先生の家庭法座にお参りします。そこからのご縁です。

座談の時には、ハッキリとご自身のお味わいを言われ、最後には必ず「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏されます。失礼な話ですが、ヒカリが砂田さんのモノマネが得意でときどき砂田さん口調でしゃべります。

長女の安原芳江さんは大学卒業の年に結婚され、砂田さんにとっては3人のお孫さんがおられます。うちと同じく三姉妹です。ご家族で華光会館、うちの事務所の仏教勉強会に、ご主人ともども参加されています。お孫さんたちも仏法を聞くようになり「こんな日が来るなんて夢にも思うとりませんでした」と涙ぐまれます。

懇親会では、砂田さん自身のことよりも芳江さんの結婚当時の苦労話となりました。ただ、ご主人の禎二さんにとても可愛がってもらい、感謝されています。年末の事務所の仏教勉強会の忘年会では安原ご夫妻と娘さんが参加され、ご夫婦は毎月勉強会に参加されています。

2016年2月

第7回 首藤澄子さん

いつも九州法座、家庭法座でお世話になっている首藤さんです。大分在住なので京都ではお会いしませんが、福岡、熊本、大分などの九州での法座では必ずお参りされています。首藤さんの念仏、お味わいは九州法座の名物となっています。

1989年から浄土真宗にご縁があり、当初はS会で6年間聴聞してもわからず、その後、華光会にご縁があっても聞き開くまでに更に7年間かかったそうです。

なかなか聞けずに苦労したと、今でも述懐されます。座談でもいつも同じことの繰り返しで、何を言われるかもわかっているけれどもどうしようもなく、座談がイヤでしょうがなかったそうです。今の姿からは想像できません。

光が見えず、助けて下さいとすがっても、助からんぞ!とはねつけられ、わからん、わからんと言っても、あなたがわかる法ではないと言われ、真っ暗になり、光が見えなくなりました。当時は、自分から仏様をつかまえに行っていました。

NHKの朝ドラ「すずらん」で、赤ちゃんの時に捨てられて20年ぶりにお母さんに会った主人公が「おかあさん、生んでくれてありがとう」と言ったときに、あーそうかと得心しました。

私が仏様を探していたけれども、仏様が私を探していたではないか。地獄に堕ちなければいけないと思っていたけれども、堕ちるから仏様がついていてくれていた。自分は地獄に堕ちる者かもわからん、仏様もわからん。あーそうだったのか、私の口をかりて南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呼んでくれているではないか。「唯除五逆、誹謗正法」がわが身であった、私には微塵も用事がなかったと。

法座中には首藤さんの念仏の声がよく聞こえます。この原稿のために電話で改めてお話したときも、次から次とこぼれるお味わいは、まさに仏様のご説法でした。南無阿弥陀仏。

2016年1月

第6回 孤杉英章さん

2015年11月21~23日、京都の華光会館で、増井悟朗先生の追悼法要がありました。中日の22日の午後に私も10名のうちの1人の法中として参列させて頂きました。

その日の午前に、孤杉先生のご法話がありました。孤杉英章先生は、大谷派教行寺(奈良県北葛城郡)のご住職です。悟朗先生を偲んでのお話をされ、とても感銘を受けました。妙好人となると在家の人のイメージですが、失礼ながら6人目の妙好人として書かせて頂きます。

孤杉先生は悟朗先生のことを「魂の師」と言われます。流転輪廻してきた迷いの身から浄土行きの身にして頂いた大恩人であると。葬儀のときに、私の目の前でお経をあげておられましたが、ずっと泣かれていました。正信偈の半分も唱えられなかったそうです。その時の涙は、悲しみの涙ではなく、あーよくぞ自分はこの先生にお会いできたなーという喜びの涙だったそうです。

真実の救いを求めて、大谷大学の学長に質問したり、大谷専修学院の校長の家にまで押しかけていったけどもわからない。そんな中、悟朗先生のお話をきいて、それまで聞いたことのないお話でビックリします。阿弥陀さまは生きておられるんやなと実感したそうです。

しかし、それから信心決定までは時間がかかったそうです。自坊に悟朗先生をお招きしてご法座を開いた翌日に、ご自身の心境を先生にお話します。それに対して「孤杉君は自分に値打ちのないことを聞かせてもらったんやね」と言われ、そこで「あーわかりました」と阿弥陀様に全面降伏して、わかったそうです。サッパリとした心境です。善知識とはたいしたもんですとの述懐です。

また、孤杉先生のお祖母ちゃん、お母さんも悟朗先生から聞かせて頂き、生れてくる前から仏法聞くための準備をして下さり、二重のご恩があると喜ばれています。これからも尊いご法話、よろしくお願いいたします。

2015年12月

第5回 舟本民子さん

2015年10月10、11日と岐阜県の飛騨高山でのご法座に参加しました。地図で見ると、名古屋市よりも富山市寄りです。ここ高山市には、妙好人の方がたくさんおられます。そのなかの舟本民子さんです。

お話を伺うと、昭和の時代から、早川先生という方が布教に来られ、夜遅くまで熱心にお話をされていたそうです。民子さんのお母さんである東じつさんは熱心な念仏者であり、小さい頃から「民子、聞法は大事なことだから」と勧められていました。

民子さんは、当時は「そんなに押しつけられても聞けん」と反発していたそうです。20数年前に早川先生がお亡くなりになり、高山の同行方は、後生の一大事の解決のために善知識を求めます。1994年1月にNHKの「こころ時代」に増井悟朗先生が出られ「求め、捨て、転じられる」が放映されます。

番組の中で、後生の一大事とそれが解決され転じられる世界があることを仰り、高山の方々は「この方だ!」と早速、京都の華光会館に連絡を取ります。まずは民子さんの実弟である東勝廣さんが、連れ合いの悦子さんと、悦子さんの母、新井茂子さんと会館に行って悟朗先生に遇われます。

そして、東さんを始め、民子さん、長男の賢也さん、次男の大坪達也さん等々、次々と信を獲られます。10月の高山法座は、求道中にお世話になった大分県の首藤さん等がたくさん集まっていました。私も高山は3回目です。

民子さんとは仏跡旅行で、インド、シルクロードに一緒に行かせて頂き、二三代さんが大変お世話になっています。

今回の分級座談では「私だけでは、いい・悪いがわからない。先生に遇わせて頂いた。先生方によくしてもらった」と繰り返し言われ、泣いて念仏をされていました。南無阿弥陀仏

2015年11月

第4回 谷本朗さん

兵庫県豊岡市の谷本朗さんです。昭和34年2月生まれです。

朗さんの名付け親は今年8月にご往生された増井悟朗先生で、悟朗先生から一字もらわれています。息子さんの増井信先生は、自分が生まれた時には「朗」の字は使われていたので「信」になったと仰っています。

平成17年に豊岡市に合併するまでは日高町でした。60年ほど前から悟朗先生が布教され、強信の同行方がたくさんおられます。朗さんのお母さんの谷本初代さんは独身時代から悟朗先生の法座にお参りしていたそうです。

朗さんは、こどもの頃から仏教的なものに興味がありました。中学時代に高田好胤師(法相宗)の『心』を愛読していたそうです。高校2年秋に父親と死別、葬儀のときの「白骨の御文章」が妙に心に残ります。その後、浄土宗系の京都の佛教大学社会学部に進学します。

その大学時代の身元保証人を悟朗先生が受けて下さり、それからが何も知らない朗さんが日曜学校、仏青、法座等でご法と関わっていきます。求道を意識することなく求めていきます。その朗さんの後生の目覚めをお取りつぎされたのも悟朗先生で、大学三回生の秋。「自分が死んでも変わるものがない」と「人世間愛欲の中に在りて独生じ独死し独去り独来る・・・」を痛感します。

40才の時に脳梗塞、脳内出血により入院します。朗さんは、この入院中にあらためて『真宗聖典』『仏敵』『親指のふし』などを読み直し、有田修司さんから報恩講のお世話役を依頼されたのを機に、華光会に戻ります。朗さんは、獲信してからの方が聴聞の中に生活があることを知らされます。

現在は華光会の運営委員長を務めています。親鸞聖人750回大遠忌法要、増井信先生継職法要、増井悟朗先生の葬儀の役にあたったことを不思議なこと、有難いことと、南無阿弥陀仏を慶んでいます。

大遠忌法要の記念パーティの席では、司会をしている二三代さんの隣の席で、感極まって大声で号泣念仏していました。マイクの声よりも大きな念仏が、とても印象的でした。

2015年10月

第3回 金山玄樹さん

今月の妙好人は、毎月、事務所で仏教勉強会をして頂いている金山玄樹先生。私の得度は、金山さんの実家である浄円寺を所属寺として受けました。

勉強会当初は「安心論題に学ぶ」(内藤知康著)をテキストに毎月一論題づつ進みました。私が大学院を考えたのは、ここで安心論題を学んだことがきっかけです。金山さんは龍谷大学卒で、大学院では内藤ゼミ出身です。

龍大在学中には、真宗カウンセリング研究会に参加し、西光義敞先生の教えを受けています。座談時のカウンセリングのうまさにはいつも感心させられます。

おばあちゃんは強信で有名な方で、「畳一枚下は地獄やぞ」と小さい頃から仰っていたそうです。華光会の子ども大会(夏の合宿)に小学校の頃から参加していました。

龍谷大学、大学院時代は、華光会館に通い、法を求めましたが、なかなか聞き開くことができません。求道中に、松林由美子さんから、「玄樹君はご縁が整い過ぎていつでも聞けると思っているんやろ」と言われ、愕然としたそうです。

大学院も修了が近づき、福岡に帰らなければならなくなった頃の増井悟朗先生の座談会で、なかなか自分から聞かせて下さいと言えず、後から求めて先に聞き開いた女性から「玄樹くんのいくじなし」と言われます。それでも、こんな自分では念仏を称えないぞと頑張ります。

首をうなだれている時に、席を立っていた悟朗先生が戻られ、「どうしたんや?」と優しく声をかけられ、諄々と法蔵菩薩のご苦労から話されます。「この法だけは人に譲ってはいかん」と説かれます。金山さんは「自分は聞けないものです、これで聞法は終わりにします。申し訳ありませんでした」と謝ります。気づいたら念仏が口から出ており、今までの小さな喜びこころまで持っていかれて、すっかりと空っぽになったそうです。

先日の私の初法話の際にはわたしの味わいに対し、泣いて慶んで下さいました。これからもお世話になります。

2015年9月