第20回 森崎立也さん

華光誌は1941年の発刊から2017年で76年目になります。ですから、当初の発行者である伊藤康善先生の生の法話を直接聞いた人は、珍しくなってきました。福岡県朝倉郡筑前町の森崎立也さんは、その数少ないお一人です。

森崎さんが小学2年生の時に、父親が35才でお亡くなりになり、人は必ず死ぬ、死んだらどうなる?ということが問題になってきました。22才の頃、当時は北九州市、甘木市(現朝倉市)に伊藤先生、増井悟朗先生が毎年のように来られていました。

京都の華光会館の法座にお参りし、地元では法話テープを聞いて、華光誌を読んでいました。ある晩、伊藤先生のテープを聞きながら寝ました。心の中には本当に仏様はおられるんだろうか?という思いが湧いてきます。目にも見えないし、匂いもない。何か不思議なことがちょっとでもあったらなーと思います。

その時、私の口から念仏が出ているということが、仏様がおられる何よりの証拠という声が聞こえたきました。ハー、そうか! 遠いところにおられると思っていたが、現在、説法をしておられる。念仏がそうであったか!と嬉しくなりました。

テープを聴き直すと、これまでとは全然違って、内容がスーッと入ってきます。今までは頂きたい頂きたいで聞いていたので引っかかっていました。それがその通りです、その通りですとなった。聞き耳を頂きました。

その後、10年は信後の聴聞に励まれたそうです。仏様がおられるということがハッキリ判りました。念仏への注文がなくなりました。念仏が噴き出した訳ではありませんが、自力の念仏も他力の念仏も称えようという心、もとは一緒であり、どんな念仏でも一緒であると、森崎さんの弁です。

現在は、年に2回、私の家庭法座には欠かさず、森崎さんは参加されます。伊藤先生の話を直に聞いた方のお話、お味わいですので、とても有り難いご縁です。

2017年2月

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