悟朗先生からのお手紙を石黒さんより拝借し、転記します。
「大会にお出かけ下さるそうで何よりです。業は果たすだけ果たさねば値切りはできんでしょうが、それでももろもろは捨てていくべきものばかりです。
後生の一大事に腹をすえたら、あとはそらごとたわごとですね。自らの業の深きは如来が私にかけてくださった念力の深さを思わせられる種だと気付かせてもらうためです」。
この手紙を孤杉英章先生にお見せすると、孤杉先生は業についてしっかり勉強され、ご法話をして下さいました。
石黒さんが強調されるのは、一つに大海原で大きな船が爆破して木っ端微塵となり、板きれにしがみついていても、助かる見込みがない自分が知らされたこと。二つに本願文の「唯除」についても、救いから洩れていることが知らされましたことです。
4~5年、ご法座から遠ざかっていましたが、その後、復帰され、私たち夫婦も、インド仏跡旅行や、北海道等の国内の聞法旅行に、数多く同行させてもらいました。
東京では、石黒さんに育てられた女性同行の方が多くおられます。皆、石黒さんが参加すると言えば参加されるそうです。
今年の永代経に参加した石黒さんの心境は、「良き師と同行、教えを聞かせて頂けたことはこの上ない幸せです。永代経の法名軸には姑の名を亡くなった後、直ぐ先生にお願いし入れて頂きました」とのことです。
この妙好人列伝に載せてはダメと断られていました。平成9年の体験発表に続き、令和5年の永代経で、華光会館での2度目の体験発表をされました。もう一度、お願いしてのご登場となりました。
体験発表では、自分は聞けるというのが迷いの元である。聞くことは難しいと強く言われていたのが印象的でした。