東京都庁に就職した高取さんは29才で結婚します。通勤の途中に築地本願寺があり、昭和63年に東京仏教学院の夜間に通います。翌年に修了し、1990年に得度します。
1991年の台風19号により九州北部の山林で大規模な倒木が発生し、実家の庫裏の屋根が飛ばされます。修繕のため、門徒の方にお願いするのに、跡継ぎがいないと頼みづらいということで、お寺を継ぐか否かの決断を迫られます。
奥さんの協力が得られず、寺を継ぐことは断念します。これが1年後に大きな後悔となって返ってきます。そんな中、西本願寺の教師教修の合宿に参加し、たまたま増井信先生の班になります。その後『華光誌』が送られてくるようになり、こんな信心の世界があるのなら自分もなりたいと思います。
『華光誌』に旧会館の取り壊しについて書かれた増井信先生の巻頭言を見て、居ても立ってもおられず、飛騨高山の法座に参加します。始めて増井悟朗先生のご法話に遇います。信心の水際を話されるので、お父さんの姿が重なって見えます。
京都にはなかなか行けないため、東京での法座に参加します。3~4年聞き求めますが、得られません。お父さんが92才で亡くなる前に、看護のために別府に住むようになります。当時、大分の首藤さんからの誘いで福岡での法座に1回だけ参加しました。
これが10年前で、4年前に大分で初めての法座があるとの首藤さんからの誘いで、これが最後と思い、参加します。2日間の法座を聞いても今回もダメだったなあ~と思い、車を運転して帰ります。その時にお父さんがよく言っていた「縁なき衆生」という言葉が響いてきて、父から見捨てられたように感じたとき、自分の念仏と父親の念仏が重なり、不思議な光に包まれていることを感じます。大きな光の中で、このまま救われていくんだなあと思えてきます。
これは何だ?と疑問に思い、日田のお寺の法座に参って「正信偈」の「南無不可思議光」を読んだとき、仏様が光だ!と感じます。摂取不捨の身になったことを実感しました。現在は、華光会の九州の支部長としてご活躍です。
2019年5月