埼玉県在住の石黒さんです。仏法とは全くご縁がありませんでしたが、昭和58年に姪御さんを華光会の子ども大会に連れて行ってくれと頼まれ、自分の娘も連れて行き、参加したのがご縁となりました。
ご同行との会話のなかで「後生の一大事」という言葉が出てきて、気楽に「それってどういう字を書くの?」と尋ね、後に生まれて一大事という言葉だけが心に残ります。あえて意味は問いませんでした。
また、「南無阿弥陀仏」という言葉が心に残ります。これもおいわれを聴かずに、ただ言葉として胸に刺さります。創価学会や、立正佼成会や、エホバの話を聞きますが、なにも響きません。おいわれも知らずに「南無阿弥陀仏」だけが胸に残ります。
本願文の「唯除」という言葉も残ります。ここは聞かせてもらわなければと、ご同行をしつこく追いかけて聞こうとしますが、相手の方が根を上げてしまいました。
和歌山の子ども大会で生まれて初めて聞いたのが御法話という言葉でした。増井信先生から、藤の花の話を聞きます。普通、花は上に向かって咲きます。藤の花だけは、下に向かって咲いています。仏法も頭が上がった状態ではなく、頭が下がったところで聞くものであると聞き、頭がズシーンと下がりました。
「仏法を聞くための道具が人生です」、と増井悟朗先生が子ども大会後の初の東京法座でお話しされ、この先生のお話を聞きたい!と思いました。その後、古い時代の華光会館に行くと、信先生から石黒さんが獲信されたことを聞いた悟朗先生が満面の笑みをたたえて道場にいる石黒さんにニッコリと笑いかけられ、「あんた、よかったな~」と声をかけられます。悟朗先生からつけてもらった法名が「釈藤心」です。羨ましいことに、悟朗先生ご自身からお手紙を頂きます。