第97回 鈴木裕太さん 下

「得道の人有り」と目にもの見せられたけれど、真宗系のブログや安心論題などを読んだりして、ご信心とは難しそうだなと思いながらも、「ただいま救われてください」という言葉が引っかかります。

2019年の秋にかけて、久保裕子さんの法話や論文から『仏敵』や華光会を知り、伊藤康善先生の書籍、増井悟朗先生の法話DVDと書籍を取り寄せます。

『仏敵』に描かれる世界は、厳しく深いなあ、と感動するけれども、まだ分かりません。南無阿弥陀仏の六字がわからず、仕事が手につかなくなり、帰ってすぐ『南無阿弥陀仏のこころ』を晩酌がてらに、視聴する日が続きます。

見終わって「今日も分からなかったなあ」といって寝る、というのが10日か、2週間か続いたある日、いつものように悟朗先生のご法話を聞きながら、ふと、「ただいま救う」の願いをこうまでも聞けない自分が情けなくなってきて、如来様に申し訳ない気持ちがふつふつと湧いてきました。

申し訳ない気持ちで頭が下がり、「なんの条件も付けないで呼んでくださっているのに、私はそれを頂けません…」と情けなくなり泣けてきます。どうしようもなくなって、もうだめだとぐるぐるしてきて、泣くしかありません。

それが気付くと、何度も聞き流してきたはずの悟朗先生のお言葉「この汚い身体いっぱいに、南無阿弥陀仏さまから飛び込んできてくださっているのやないか!」が聞こえて、ああそうだった! ここだった! と嬉し涙に変わっていました。始まりの無いほどの昔から迷ってきたことが、このとき初めて知らされました。その日は、それまでの緊張が解けて、そのまま眠ってしまいます。

東京支部法座には、翌年(2020年)の1月に初めてお参りし、それから、名号の躍動するさまを肌で感じています。当初問題だった鈴木さんの煩悩は全く解決せず、別れを思うと毎日でも泣くしかないそうです。その人は、迷いを劇的に覚ますために現れた菩薩さまであると、手を合わせている鈴木さんです。

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