第46回 高取義昭さん 上

2019年現在、72歳の高取さんです。高取さんは大分県日田市の照妙寺の後継として生まれます。お父さんまで11代続いたお寺です。お父さんは18歳の時に狼瘡(ろうそう)に罹り、鼻から喉にかけて苦しい状態でした。

狼瘡とは、結核菌が血行により運ばれ、全身の皮膚、特に顔面の組織が破壊される病気だそうです。九州大学病院に入院していますが、治療法がないということで退院となります。お父さんは草むらで横になって、いつ死ぬかと思っています。

ところが太陽光を浴びて、治療不可だった病気が直ってしまいます。16才の頃に発病し、直ったのが18才の時です。しかし、鼻が欠けたような感じになり、相当に悩んだそうです。

お父さん19才の時に実母が亡くなり、後妻がやってきますが、どうしても「お母さん」と呼べません。実母の代わりということで、憎さが倍増してします。貧・病・争に苦しみます。これが求道の縁となって善知識を求めます。

武石覚了という先生について聞法します。親からは異安心だからやめておけと言われますが、その先生が生花に見え、他の先生は造花に見えたそうです。21才の時に蓮如上人の「わが心にまかせずして心を責めよ。仏法は心のつまる物かとおもへば、信心に御なぐさみ候ふと仰せられ候ふ」のお言葉に、この通りに頂けたらいいんだと思えた時に、信心を頂いたそうです。

高取さんは、お父さんが30才の時の子です。お寺のお手伝いを小学校5年の頃から始め、中学、高校の時には、月参りをして、お盆には1日40件ほど回っていました。

お父さんは、お寺を継ぐことよりも、信心を頂くことを勧めます。龍谷大学に行くよりも、まずは世間のことを勉強して、先々、お寺に戻って来ればいいということで、高取さんは東洋大学社会学部に入学します。東洋大学を卒業した高取さんは、当時、美濃部知事の東京都に福祉専門職として就職します。

2019年4月

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