第115回 山崎隆弘 その2      

24才でS会は退会し、地元の福岡に戻ってきます。後生の一大事の解決は今生ではできそうもないことに落ち込みました。後生暗い心、私の場合は身体的にお腹がとても苦しくなってきます。

お腹が苦しいことを、S会のT会長に書面で質問したことがあります。法座の中で、それは「煩悩です」との回答でした。周りからは煩悩のカタマリと散々冷やかされました。どうしょうもなく苦しく、煩悩とは思えません。その後、それは苦しみの根本である「無明」であると知らされました。

25才にして大学中退で無職の状態です。今から考えればまだ若かったですが、当時は相当出遅れたと感じ、会計の勉強を始めます。ただ、教養単位も取らずに中退したので、税理士も会計士も受験資格がありません。翌年に簿記1級、会計士一次試験に合格し、なんとか受験資格を得ます。そんな頃、二三代さんと出会いました。

そこから3回目にしてやっと公認会計士2次試験に合格し、29才9月に中央監査法人に入所しました。正直、無理かもと思っていましたが、勉強すれば合格するという当たり前のことを実感します。翌年1月に29才で結婚しました。

10年間は、仕事に夢中になり監査法人勤務の会計士として、残業し、土日も出勤して働きました。仕事がないときは、必ず子ども達を連れてどこかに行っていました。PTA、子ども育成連合会(こいくれん)の役員もして日曜日まで朝から晩まで活動していました。

そんな生活がたたり、39才で急性胆管炎を発症し、40度の高熱が3週間続きます。その間、敗血症まで発症して死にかけます。胆管ガンの疑いもありましたが、胆管結石であることがわかり、3ヶ月九州大学病院に入院し、ドレイン処置により大きな石を二つ除去します。しかし、細かい石がたくさん残っており、その後3年間、入退院を繰り返しました。そのような状況なので監査法人は不本意ながら退職します。

8割方は胆管ガンと言われ、そうであれば3ヶ月くらいの命と、一旦は宣告されました。さすがに死が目の前に迫ってきました。あまり長くも生きられないだろうと、浄土真宗のお聖教を引っ張り出して、病室で読むようになります。3度目の入院の際にはドレイン処置中に誤って肝臓動脈を突き破って、多量の出血をし、即手術となりました。結果的に、この出血により、結石が全て吹き飛んでしまい、石が無くなってしまいました。それ以来、健康オタクとなり、自分の身体は自分で治さなければと思っています。

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