第39回 古澤カツエさん

新潟県十日町市の古澤カツエさんです。カツエさんのお母さんが、新潟の本屋さんで伊藤康善先生の『仏敵』を見つけ、どうしても伊藤先生に会いたいと京都まで行ったそうです。

興正会館に泊まり、聞かせてもらうまでは新潟に帰らないつもりでした。その1回のご縁で聞き抜かれます。お母さん19才の時です。そのお母さんに育てられ、法は聞かなくちゃ、聞かなくちゃと思い込みます。口癖のように「お前は可哀想だな、死んだら私と一緒のところに行けんね」と言われ、無性に寂しい思いをします。

カツエさんは小学校の先生になりたく、京都女子大学に入学します。お母さんのご縁で、華光会館に下宿するようになりました。短大のため2年後には新潟に帰らなければなりません。京都にいる間に聞かなくちゃと思いますが、なかなか聞け開けません。

いよいよ卒業が迫ってきた頃、当時、獲信者が集まっていた江原(現豊岡市)のご法座に行かれる増井悟朗先生に同行します。それまでは、自分の力で聞かなくちゃと力んでいました。自分で聞き抜くつもりでした。

早田節代さんのお宅で、自分でなんかとなると思っていたことが通用しないことを知らされます。自力が崩れ「阿弥陀様に抱かれたままどこまでもどこまでも落ち続けている私がありました」とカツエさんは述懐します。早田さんから、「それにしてもお念仏がでないね」と言われ、仏壇の前に連れて行かれ、念仏を称えます。当時、カツエさんは20才、60年前のことになります。

数年前の真宗法座の集いで古澤さんと同じグループになりました。その際には、息子さんのことをいろいろと心配されていました。今では一人住まいで、日々「世間虚仮 唯仏是真」を実感する毎日だそうです。

北陸新幹線が開通して、かえって京都に出にくくなりました。2年前の京都聞法旅行の宴会の出し物では、司会の二三代さんによれば、古澤さんが特に印象的だったそうです。

2018年9月

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