1928年生まれで2017年に89才になられたばかりの岐阜県高山市在住の舟本正夫さんです。正夫さんは、華光会館での報恩講2日間、永代経3日間、華光大会3日間を2006年から、かかさずに撮影しています。誰に頼まれた訳でもなく、「仏様のお言葉を後世に残したい」と自主的にされています。
仏さまが護って下された、せめてものご恩返しだそうです。なんと地元の高山支部では1996年から当初はVHSで撮影し、高山支部法座は全て撮影しています。1994年にNHK「こころの時代」に増井悟朗先生の「求め、捨て、転じられる」が放映されます。その年の11月の華光大会に同郷のご同行はお参りしますが、正夫さんは法事のため、お参りできませんでした。
会館に行ってきたご同行のお話を聞いて、自分は早川先生に夜明けをさせてもらったとの報告するつもりで、奥さんの文子さんを連れて華光会館に行きました。当時、会館から戻って悟朗先生に宛てたお手紙です。
「先生のお身体の悪い時にもかかわらず、おしかけて済みませんでした。恥ずかしい、恥ずかしいの毎日で過ごしています。お尋ねした翌日、菜洗いの手伝いをしながら、今日も生かせれていた、仏様にご用があったのだと気付かされました。1971年肺病で1年入院、1977年脳内出血で頭蓋骨を外して洗ってもらう大手術、1993年夏、心臓が苦しくなり救急車で病院へと、まだ判らんか、まだ判らんかのご催促のお知らせがあるのに、平然と横着な私に、仏様はたまりかねて立撮即行(りっさつそくぎょう)となって、家まで来られたとき、醜い浅ましい、うぬぼれの自分、番頭心で見る自分と聞かされたとき、お念仏が吹き出てきました。」
文子さんは、その翌年の8月の京都の聞法旅行の帰りに、華光会館の事務所で悟朗先生にご挨拶しに行ったところ、先生とのやりとりの中で「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」とお念仏に飛び込まれました。
大きな三脚に付属している椅子は、近所の鍛冶屋さんに作ってもらったそうです。そこに座って撮影されている姿は、華光名物となっています。
2017年3月