兵庫県豊岡市日高町にお住まいの吉田晃子さんです。日高町の江原は70年ほど前、増井悟朗先生が布教に行かれ、念仏の火が燃えさかったところです。お姉さん、叔母(和田つや子さん)から、30代の頃から仏法を勧められていました。
吉田さんは看護師で通算32年勤めてました。58才で退職した際に、和田つや子さんが膵臓癌を発症し、お世話をします。華光会に行くことを勧め「念仏を頂かないと地獄だぞー」が遺言のようになります。
准看護師からのキャリアアップのため高校の通信教育を受けるようになりました。その卒論で「私の死生観」として和田さんのことを取りあげます。それを読んだ江原の剛心な早田節代さんから華光会に行きなさいと言われます。60才の3月に卒論を提出し、その年の5月に初めて一人で華光会館の永代経に参加します。
華光会館での皆さんの念仏の声に驚きます。東京から参加のご同行に、ここまで足を運んできたからには離さへんよと励まされます。もうちょっとでわかりそうな気がします。帰ってきてからの翌日、水道の蛇口をひねると増井悟朗先生の「地獄に堕ちるぞー」の声が聞こえました。そこで喜ばしてもらいます。これでいいんだと思いました。
しかし、そう思えたのは少しの間だけで、このままでいいんだろうかと不安になってきます。不安な気持ちを抱えたまま、2~3年経過します。増井信先生からは「吉田さんは縁他力(ご縁にあったことを喜んでいる)だよ。一歩でないと」と言われます。それから3~4年間は信先生を避けるようになっていました。
悟朗先生からは「いま死んだらどうするんだー」と前に出るように勧められます。法話のテープ、「親指のふし」などの書籍を読んで、私もこれで本願他力に入れたと思います。華光の法座に参加して20年ほど経過していました。しかし一昨年、奈良の北島登美子さんから「私の信心」とは違うと言われてしまいます。