華光会で求道して20年経過していましたが、令和2年11月の華光大会で、奈良在住の北島登美子さんから「私の信心とはちがう」と言われます。自分でもそう思え、薄紙一枚はがれていないような気がします。
令和3年3月に増井信先生に「このままで本当にいいのでしょうか」とご示談をお願いします。信先生は「吉田さんのおられる立ち位置をしっかり見て、あとは聴聞するしかない」とだけ仰ります。「あー、そうか」と増井悟朗先生の小冊子『疑心よさらば』を改めて読みます。信先生の小冊子も改めて読んでみます。今までも何度も読んでいましたが、改めて読むと「これだ!」と気付きます。
疑い心はほっとけ、自分は自分で信心する方に向かおう。後生の一大事を、そんなこともあるんかと先に置いていましたが、私みたいな凡夫が仏になるとは、と地獄一定がわかり、肩の荷が降りたように感じます。阿弥陀如来に対して恥ずかしい。全てお手回しだったと知らされます。私一人の阿弥陀様に遇わせていただいた! まさにコロナ禍のなかでZOOMではなく、リアルのご示談で信心をいただかれています。
吉田さんは、華光会の法座でよくお会いします。コロナ前の聞法旅行にはよく参加されていました。江原の古い同行さんですので、信心はとっくに得られていると思っていましたが、20年にわたる聴聞の後、まさに前年に頂いたことを知りました。やはり阿弥陀様は生きて働いておられると実感します。聞いたと思っても、その後の聴聞がつくづく大事と思わさせられます。
令和2年9月の永代経では、次女の光(ひかり)が、華光会館で皆さまの前でお話しをさせてもらいました。父親に対する気持ち、仏法を聴くということは親に従うということで抵抗があったということに、とても共感され、光に「私もそうだったのよ!」と声をかけられたそうです。それも知りませんでした。