第80回 薄千恵さん 下

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何をやっても苦しく、心がスッキリしません。一人でシクシク泣いている自分の姿が見えます。子ども、ご主人もいるのに苦しい。そんななか、39才の時に、生後数ヶ月のお子さんを連れて、華光会館の「壮年の集い」に参加します。

座談で山下和夫さんから「何が引っかかっているんだろうね。仏法は簡単なのに」と言われます。その言葉が帰ってからも、頭から離れません。伊藤康善先生の『仏敵』を読んでいるときに、アレッと思います。自分が思い描いていたものと違う。全ては自分が邪魔をしていたんだ! 涙が止まらなくなります。夜中でしたが、泣き叫んで「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を称えます。ご主人が驚いて背中をさすってくれました。

薄さんの体験記には「ああ、この私自身が仏敵だった。阿弥陀様に背を向け、自分が欲しい救いを、自分の中に見出そうと己の腹底を探し続けていた」とあります。

スッキリして不安がなくなります。自分のことがよくわかります。お聖教を読んでもサラーッと入ってきます。仏法を聞くということはこういうことだったのか。今度は、聞きたくて仕方がなくなってきました。

「私はいったい何のために生まれてきのか」の答えがようやく分かりました。それは今生で仏法に出会うためでした。「地獄一定はこの私。まことのない私。その真実に出会えたのも、ひとえに阿弥陀様一人のお働きのお陰でした」

千恵さんは、以前に古代蓮の栽培を習っていました。1年かけて土から作ります。土を作るときには、いろんな物を入れて発酵させます。ボウフラが沸き、ものスゴい匂いがします。近寄れないくらい臭くなります。そこに美しい古代蓮が咲きます。横川法語の「濁りに染まぬ蓮のごとくにて、決定往生疑あるべからず」の法語が身に沁みます。

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