2023年 の投稿一覧

第97回 鈴木裕太さん 下

「得道の人有り」と目にもの見せられたけれど、真宗系のブログや安心論題などを読んだりして、ご信心とは難しそうだなと思いながらも、「ただいま救われてください」という言葉が引っかかります。

2019年の秋にかけて、久保裕子さんの法話や論文から『仏敵』や華光会を知り、伊藤康善先生の書籍、増井悟朗先生の法話DVDと書籍を取り寄せます。

『仏敵』に描かれる世界は、厳しく深いなあ、と感動するけれども、まだ分かりません。南無阿弥陀仏の六字がわからず、仕事が手につかなくなり、帰ってすぐ『南無阿弥陀仏のこころ』を晩酌がてらに、視聴する日が続きます。

見終わって「今日も分からなかったなあ」といって寝る、というのが10日か、2週間か続いたある日、いつものように悟朗先生のご法話を聞きながら、ふと、「ただいま救う」の願いをこうまでも聞けない自分が情けなくなってきて、如来様に申し訳ない気持ちがふつふつと湧いてきました。

申し訳ない気持ちで頭が下がり、「なんの条件も付けないで呼んでくださっているのに、私はそれを頂けません…」と情けなくなり泣けてきます。どうしようもなくなって、もうだめだとぐるぐるしてきて、泣くしかありません。

それが気付くと、何度も聞き流してきたはずの悟朗先生のお言葉「この汚い身体いっぱいに、南無阿弥陀仏さまから飛び込んできてくださっているのやないか!」が聞こえて、ああそうだった! ここだった! と嬉し涙に変わっていました。始まりの無いほどの昔から迷ってきたことが、このとき初めて知らされました。その日は、それまでの緊張が解けて、そのまま眠ってしまいます。

東京支部法座には、翌年(2020年)の1月に初めてお参りし、それから、名号の躍動するさまを肌で感じています。当初問題だった鈴木さんの煩悩は全く解決せず、別れを思うと毎日でも泣くしかないそうです。その人は、迷いを劇的に覚ますために現れた菩薩さまであると、手を合わせている鈴木さんです。

第96回 鈴木裕太さん 上

1990年生まれの仙台出身です。学歴がスゴいです。東京大学理科一類に入学し、3年次より理学部、同大学院の新領域創成科学研究科に入り、2018年3月に科学博士となっています。現在は東大大学院で学生の指導に当たっています。ゲノム解析が専門だそうです。

2019年3月に雷に打たれたような、思いがけない恋愛で、この思い出だけで、この一生に後悔無いほど幸せだ!という気持ちと同時に、この時間を手放したくない、離れたくない、という叫びになります。

理不尽な激しい煩悩に、さあ困ったことになったと分かったので、まずは節度ある正しい生活を知るためにギリシア哲学を漁ったり、精神分析の立場から愛とは何かを学ぼうとしたり、その過程で、いくぶん自分を客観視できたような気持ちになってきます。

しかし、いつか必ず、必ず来る別れを受け入れることは、どうしても出来ません。どう考えてもどちらかがそのうち死ぬ道理は明らかでも、情が承知してくれません。

根本の問題が、そんな不条理な自分の心にあるのだと明らかになっていったころなので、通仏教のお示しが素直に入ってきます。『大乗起信論』などを同年夏に読み、煩悩は無明から起こってくるという理がしっくりきました。宿縁が余程厚い人です。

8才時に祖父の葬式で正信偈を聞き、始めの十数句は暗誦していたそうです。その夏の終わりにかけて、ふと手にとった『教行信証』で、親鸞聖人は「知るべし」という言い切りを自信をもって連発されているということが、印象に残ります。『歎異抄』ではなく『教行信証』を手にとるから驚きです。

この頃はまだ、ご信心とやらがわかるところまで勉強してみるかな、程度の気持ちでした。嶋田さんの「私の白道」ブログを見つけ、そこに綴られる人生をかけた求道に胸を打たれます。大きなご縁となり、他人事とは思えず、獲信の場面では涙が止まりませんでした。

第9回 水谷法子さん

大阪のおばちゃん、もとい京都のおばちゃんの水谷さんです。華光会館の御法座には必ずおられます。たまに京都にいるときに参加する伝道研究会でも毎回参加されています。

法話の後で、ファミレスで何時間も仏法談義をトコトンされます。求道中にお世話になった方も相当おられます。私も聞かせて頂いたときには、高山法座と水谷さんの家庭法座に行って確かめに行きました。

水谷さんは三姉妹の長女の生まれです。お父さんは仏法とご縁の深い方で「法子」という名前をつけます。法子さんは若い頃は神経内科に通い、体重が減っていったこともあります。今では考えられません。

そんな水谷さんも32才のときに仏法を求め始め、聞き抜くまでに7年間ほどかかったそうです。求道中には「清水の舞台から飛び降りなさい!」と言われても、そんな気力も湧かんし、えらいこっちゃと思ったそうです。

「無条件のお救い」と聞いたときには「あー条件をつけていたのは私か!」と疑蓋のフタが開いてしまいます。耳に入ってきているのに、スッキリしたい、クッキリしたいと自分で条件をつけて、仏様の胸に五寸釘を打ち付けていたのは自分だったと知らされます。

「私が聞く」では、まだ「私」が入っている。「あーそうか!」とパラパラと変わったそうです。ご主人の茂さんは、長い間、奥さんが仏法を聞くのを反対していました。自宅では仏教のビデオを見ることを禁止していました。

ところが茂さんが一人でビデオをセットしたときに、誤って悟朗先生のNHK「こころの時代」が再生されます。それを見て「アッ!こんな近くに仏さんがいたんや!」と悟朗先生に後光が見え、なんとその場で獲信されます。

この体験発表を聞いた時には爆笑してしまいました(失礼)。座談会は嫌いと言われますが、茂さんのお味わいはとてもユニークです。夫婦喧嘩は絶えないそうですが、お互いを妙好人と思っておられる尊いご夫婦です。

2016年3月

第95回 松岡宗淳先生 下

華光会で求めだしてから、胸のところにサルみたいな気持ち悪いヤツがみえてきました。肩をすくめて、せせら笑っています。

悟朗先生の『正信偈講話』のときにご示談をお願いします。先生の前に座ったとたん、「ウォー! ウォー!」と泣き崩れます。「泣いてばかりいんと、しっかり聞くのや!」と言われ六字釈をお話くだされますが、「わからへんがな!」と大声で食ってかかります。

「命をかけるか!」と仰り、「ハイ」と応えると「南無阿弥陀仏の中に飛び込むのや!」と大声で叫ばれました。なかなか開かなかった口から大きな念仏が飛び出しきます。すかさず「こちらから、飛び込んで行くのでないの。飛び込んで下さるの!」と叫ばれます。次々に念仏が飛び出し、気がつくと先生に抱きついて泣いていました。サルがピンピンと輝いていました。

しかし、その後、これでよかったのだろうかとの思いにとらわれます。

31才の12月に「王舎城物語」のスライドを見て「韋提希のように阿弥陀様を見ることができたら疑わないのになあ」と思います。悟朗先生が「末代の私らには聞名得忍の仕組みがなされてある」と話されます。「アレ! ご示談の時の念仏は、私を救うために立ち現れてくださった阿弥陀様が、私の口から出て下さったのじゃないか!」と気付かせてもらいました。

風呂屋さんで洗髪しながら「念仏しようとした心は弥陀回向の心や! 仏さまはここにおったんや!」と目を覚めさせてもらい、真実信心で一杯になりました。才市さんの「わたしのこころをあなたに取らて、あなたののこころをわたしがもろて」の歌が浮かんで喜ばせてもらいます。

松岡先生とは印度仏跡旅行でもご一緒し、松岡先生の座談の司会はほぼ私がさせて頂いていました。印度の時はご門徒の方がお亡くなりになり「こんな時に!」と怒っておられたのが、私たち夫婦の爆笑のネタでした。

院号はご本人の希望では「懈怠院」でしたが、奥様の和枝さんにより「廻向院釈宗淳」とされています。南無阿弥陀仏。

第94回 松岡宗淳先生 上

浄土真宗本願寺派安明寺ご住職の松岡宗淳先生です。令和4年8月29日に76才で往生されました。生前に2回、この妙好人列伝への登場をお願いしましたが、「いや~、私なんか」と断られていました。妙好人列伝の趣旨は、読んだ人のご縁になればということですので、今回、奥様の和枝さんにインタビューをお願いしました。

初めて滋賀県長浜市の安明寺にお参りしました。元は天台宗のお寺でしたが、蓮如上人時代に浄土真宗に転派し、宗淳先生で十八代となります。開基仏御絵像裏書きに蓮如上人のご長男の順如上人の御染筆があります。蓮如上人は滋賀を経由して北陸に行かれるときに、長浜あたりを通られたそうです。

お父様の宗幹先生は前々門主の勝如上人に仕えるほど、由緒ある真宗の末寺です。宗淳先生は龍谷大学仏教学科に入りますが、結核のため数年遅れてしまいます。信楽峻麿先生のゼミに入り、西光義敞先生の真宗カウンセリングとご縁を結びます。増井悟朗先生とのご縁もありましたが、華光会は機責めと警戒します。

いろいろなところで求めていましたが、信心が獲られません。悟朗先生に相談すると、「法徳の所では、なかなか聞き開けんよ」と言われ、反発してしまいます。しかし、岩波文庫の『親鸞和讃集』を読んで喜べるようになったので、法を喜ばせてもらおうと31才の春に華光大会に参加します。

ところが、初日の吾勝常晃先生の法話を聞いてまだだと知らされます。二日目の辻本順道先生のお話で、自分とは違うと思います。ご同行に尋ねると「落ち機のところで喜ばせてもらうものだ。あんたのは化城だ」と言われ、喜ぶところが違う、やっぱりダメだと観念します。

最後の法話で悟朗先生が「仏様の御慈悲をいただかぬヤツはダレや!」と獅子吼され、惨めな思いにとらわれます。