2021年 の投稿一覧

第60回 浅野聞子さん

この妙好人列伝も5周年、60回となりました。第1回は増井悟朗先生に登場いただき、その翌月にお浄土に還帰されました。ギリギリ「現代に生きる」に間に合いました。記念の第60回は悟朗先生の長女の聞子さんです。4才の時に獲信したという伝説の方です。私もその時のテープを聞かせてもらったことがあります。周りの「よかったね」という声のなかで、小さな子どもが念仏を叫んでいました。

真宗史上、最も若い?幼い獲信ではないでしょうか。聞子さんによれば、ものごころがつく前から、両親と一緒に寝物語にも「あんたはおとうちゃん、おかあちゃんが行くところ(お浄土)には行けんから、早く仏様の子どもにならしてもらい」と言われて育てられました。

当時は、大人も子どもも関係なくご示談が行われ、子どもが子どもを取り囲んでお勧めしていたそうです。4才時の報恩講のご示談において、まだ小学生の丸尾佐知子さん、中学生の辻悦さん(嶌悦さん)、増井武士さん(聞子さん従兄弟)から、ご示談を受けていました。途中、イヤになって下で寝て休んでいるお父ちゃんのところに行こうと階段を降りたときに、階段の上から「寝ている間に死ぬかもしれへんで!」と言われ、ハッとします。きびすを返して道場に戻り、そこで聞かせてもらいました。今となっては何も覚えていないそうです。気がついたら母、叔母さんが喜んでいて、大きな座布団の上に乗せてもらって、念仏していました。

龍谷大学真宗学科の学部、修士課程で学ばれ、学部の卒論は「真宗における求道論」です。大学院での指導教授は信楽峻麿先生した。

聞子さんとは7年前のシルクロードツアーで一緒でした。鳩摩羅什さんの銅像前で「弥陀成仏のこのかたは~」と歌っていました。今年のインドツアーでも霊鷲山の山頂で歌っています。現在は名古屋の「浅野屋洋食店」の女将さんとして、ご主人の太佳雄さんとお店を切り盛りしています。仏説とは真逆の世間のモノサシに驚きながら、いよいよ仏説のまことを知らせてもらう毎日です。

2020年6月

第59回 藤井幸子さん

京都市伏見区の藤井幸子さんです。ご自宅が華光会館の近くで、近所の子ども達が会館の書道教室に通っているのを見て、長男の英志さんを小学1年生から通わせます。翌年には華光子ども大会にも参加し、「楽しかった!」と話してくれました。

小さなタバコ屋経営で働きづめのご主人は、英志さんのお話を聞いて「一緒にお参りしよう」と幸子さんを誘います。幸子さん自身は興味を持てずに、自分一人でもお参りしようかという矢先に、ご主人が突然の病気で入院し、そのまま2ヶ月後に帰らぬ人となってしまいました。

生前のご本人の希望に添う形で増井信先生に葬儀をして頂きます。幸子さんは永代経に誘ってもらい、お礼のつもりでお参りすることになります。お参りするあたって英志さんから「途中でやめたらあかんで」と言われます。「途中で」の意味が今ひとつ理解できませんでしたが、行ってみてビックリ! 皆さん、念仏を大きな声で称えていて「こんな騒がしいところはかなわんな~」と思います。

それが17年前で、ご法座などの行事に参加し、求道が始まりました。そこではじめて「途中でやめたらあかん」の意味がわかります。お話を聞いて有難くなって喜んでいると「それは縁他力や」と英志さんに否定されます。なんだか判らなくなってきました。

会館での華光誌輪読法座が始まり、初回から参加します。大勢の座談ではなかなか本音を言えなかったところが、水谷法子さんが自性をそのままさらけ出すのを聞いて、肩の力が抜けてものが言えるようになります。

輪読の後にはファミレスで1時間以上、水谷さんたちと話し込んでいました。あるときの輪読法座で自分の口から次々と本心が出てきて、腹底が空っぽになります。信先生がお話してくださり「ハイ」と返事をしてお仏壇の前に行き、念仏をさせてもらいました。胸がホコホコと温かく、歓びを隠そうにも隠しきれません。いつもは「今日はどうだった?」と聞く英志さんがその日に限って何も聞きません。翌朝、心境を語ると、いつもと全然様子が違っていたそうです。

私の分級座談にもよく顔を出され、お味わいを述べられます。分級常連の水谷さんは2020年2月22日に浄土に参られました。南無阿弥陀仏。

2020年5月

第58回 三輪利加さん

三輪さんは在家から本願寺派のお寺に嫁入りし、坊守さんとなっています。村上義円さんが住職の西光寺報恩講にお参りした際、増井悟朗先生のご法話を聞きます。今まで聞いたことのなかった後生の一大事や、信心という言葉にビックリします。その時から求めだします。30代後半は求め歩いていました。当時、華光会の子ども大会に参加した時の三輪さんの参加記です。

『私は、自性を見せられても、なおその私に執着してると思いました。アミダ様は、そんなミワリカが、自分で作った自分地獄へ落ちていくしかない罪業をはっきりお見通し。アミダ様からは、計り知れないおそろしいミワリカの罪業が、はっきり見えてはるんだと思いました。お前を救う手だては、もうここに用意してあるよ。何も心配は要らない…なんまんだぶつ…なんまんだぶつ…「さあ、おいで。さあ、おいで。落ちておいで」と、叫びづめでした』

仏青の懇親会では、増井悟朗先生が横におられ、ご示談を受けます。私のものと思っていたものが、ドンドンとられる感覚でした。何もない。一人になっていく。周りにいた人によれば、三輪さんは怖いと言って震えていたそうです。そうすると、口から何かが出ていって、倒れ込んでいました。倒れた時に先生に抱きついて、しがみついていました。先生から「念仏しましょう。お礼をさせてもらいましょう」と言われ、「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と称えます。次の日から、私は変わらへんかったと知らされます。聞く耳を頂きました。最近の三輪さんの心境です。

「そうして、私の出遇いに気づく日々が始まりました。私のあみださまはじっとしてはらへんのです(笑)。恩師上田豊香師からお聞かせ(お育て)いただいた言葉や味や念仏が、私の身だけにとどまらず響きあうて動きだしてやまないのです。自坊での法要法座・座談会にはご門徒さんだけでなく法友、有縁の方々もお参りお聴聞くださり聞法・お育てをいただいています」

お母さんの浅里さんとは、私もよく華光会館でお会いします。また、私が求めているときに、西光寺での悟朗先生法座の後、三輪さんに姫路駅まで送ってもらい、その節は大変お世話になりました。

2020年4月

第57回 毛利真之さん

龍谷大学大学院同期生の毛利さんです。2012年に龍大大学院修士課程に入学しました。その時、龍大の正門で毛利さんと一緒に記念写真を撮りました。

広島県安芸高田市の浄土真宗のお寺に3人兄弟の長男として、1986年に生まれます。妹さんがお2人です。若い頃は仏教の教えに興味が湧かず、ぬくもりが感じられればお寺を継いでもいいかなと思っていました。高知工科大学卒業後、龍大真宗学科の3年に編入します。そこで真宗カウンセリングに出会います。金山玄樹さん達の月1回の勉強会に参加するようになりました。

真宗学科を卒業後は、本願寺の勤式指導所に1年間通い、勤行作法を本格的に学びます。今では、お勤めの時に毛利さんから詳しく、熱い!ご説明があります。私はどうもリズム感がないようで、昨年の永代経では阿弥陀経の読経中、ニッコリ笑って節折(せったく)を取り上げられてしまいました。

毛利さんは2018年の華光大会において、里明彦さんを導かれたのが何と言ってもスゴイです。本来は毛利さんから紹介するところですが、あまりに里さんが衝撃的だったので、順番が後先になってしまいました。

里さんは1座の法座で聞き抜かれました。その時は毛利さんと正に1対1に対峙して2人きりのご示談でした。毛利さんに伺うと、自分でもわからないけれども何故か「捨てもの、拾いもの」という言葉が浮かんできたそうです。阿弥陀様のお手回しでしょう。

里さんが自分の食べたステーキに自分自身を見て涙しているの見て、毛利さんはその涙が菩薩様の涙としか思えなかったそうです。その後の里さんの歓びようは大変なものです。毛利さんを善知識として尊敬しています。

毛利さんはFacebookで近況をよくアップしています。二三代さんはそれをウォッチしていて、今日はどこに行かれたよと教えてくれます。

2020年3月

第56回 宿利清麿さん

2019年12月10日に往生の素懐を遂げられた豊前市の宿利さんです。浄土真宗本願寺派のお寺に生まれ、寺を継ぐか否か随分と悩まれたそうです。龍谷大学に進学はしましたが、歴史学科の東洋史を専攻し、大分県玖珠町で高校の先生となります。定年まで38年間の教員生活でした。お寺は弟さんが継いでいます。

退職して4年後頃から、大分県日田市のお寺で聴聞するようになります。2013年頃より華光会の大分法座にお参りするようになります。初めてお会いした時、いかにも学校の先生のような真面目な感じでした。年令的には80才に近くなり、後生も近くなって焦りますが、なかなか聞き開けずに苦しんでしました。

2015年9月の大分法座で、宿利さんを中心に座談が進みますが、もともと喉が悪く、蚊の鳴くような声で答えるだけで進みません。その時の増井信先生のお勧めがスゴいです。円座になっていましたが、近くにすわっていた鍋島証子ちゃんを宿利さんの前に座らせます。宿利さんに「阿弥陀様は宿利さんになって言っておられますか? ご自身が阿弥陀様になって証子てちゃんに言ってみてください」と促されます。

宿利さんは証子ちゃんに「聞いておくれ。私に助けさせておくれ」等とご自身の言葉で伝えます。そこで攻守交代して、証子ちゃんが阿弥陀様となり、宿利さんはご自身となって阿弥陀様の声を聞きます。そこでの証子菩薩の声が出色でした。突然「ありがとう!」と宿利さんに声をかけます。

その瞬間、宿利さんの首がガクッと折れ、椅子に座った状態からそのまま頭がフロアーの床に擦り付きます。念仏を称えたまま、首が上がりません。その日は皆で祝杯を上げました。

次の日の法座では、いままで蚊の鳴くような声だったのが、次から次と言葉が出てきます。さすがに長年、聴聞してきただけのことはあります。お亡くなりなって、間に合って本人も喜んでおりましたと、奥様が仰っていました。

2020年2月

第55回 山津穣さん 下

求めだして数年経っても状況は変わりません。座談会にも慣れて人には言えるようにもなってきます。充分に聞いているだろう、自分を聞かせて頂いた立場に立ったらどうだろうか?と、かかわってみます。

しかし、やってみても不安になってきて、自分が押しつぶされそうになり、やっぱりダメかと思います。自分は未信という変な自信が出てきます。そうこうしているうちに、ご縁があってから7年経過します。全てが回向されたものと気付きません。頑張れば聞き抜けると、自分のものを足さなければならないと思います。信心が欲しいという思いが、聞法の原動力と思っていました。力んでばかりいました。自分が求めていると思っていたものと、阿弥陀如来が与えようとされているものが違うのではないかと思えてきます。

そんなある時、信じる心も阿弥陀如来が用意されていた。私と如来様しかいない。この私が願われていた、これで充分だと思え、救われることも、後生もどうなってもいいと思えてきます。力の入れようがない。何の役にも立たない自分の妄想と戦っていたと感じました。

大事なことは何も聞いていない。自分には何もありませんでした。信先生から「もういいでしょう」と言われ、「はい、いいです」と答えます。ズーッとスカをつかまえたくなかった。ハッキリしたのもが欲しかった。そういう思いがとれ、肩の力が抜けてしまいました。

これが2年前のことです。文章に書くとこれだけのことですが、それからの山津さんの言動、特に座談での発言は、明らかに以前とは異なります。

同じ分級に参加していた二三代さんから山津さんのことを聞いて、昼食時に3人で祝杯を上げました。途中で、自分は聞かせてもらったと手を挙げずに、7年間、ズーッと聴聞、座談、懇親会に出続けた結果のことで、尊いことでした。

2020年1月

第54回 山津穣さん 上

名古屋でソフトウェア開発会社を経営する山津穣(ゆたか)さんです。私と同じ昭和35年生まれです。幼少より母子家庭で育ち、実家は真宗大谷派です。大学受験で一浪目は自宅で勉強し、二浪目は進学塾に通い、名古屋大学に入学します。

1年生の後期に「人生の目的を考えたことありますか」と問われ、S会の歎異鈔研究会に入ります。因果の道理を聞かされ、死んだら地獄行きと知らされます。専任講師を目指し講師学院に入ります。しかし、自分に求められるような道ではないと感じ、学院を辞め、S会も退会します。

退会して3年後の28才の時に会社を設立し、世間的には成功します。後生の解決には挫折し、いつかは求め直さなければと思います。離婚して2度目の結婚後、夜中まで飲み歩き、罪滅ぼしで土日は家から一歩もでませんでした。ネット上で、S会への批判記事を見つけます。S会が間違っているとは微塵も思っていなかったので、数年間ウォッチしていました。

批判が本当かもしれない、それがだんだんと確信に変わっていきました。『仏敵』を読み、華光会の法座案内を受け取ります。2度目の妻から離婚してくれと言われ、土日の拘束が外れ、これで華光大会に参加できると思います。

2009年秋に初めて華光会館に行き、いきなり水谷さんから「あんたチャラいね」と言われてしまいます。思ったことは何でも言ってもいい雰囲気です。本当の中味は隠して、ほどほどに自分のことを出します。けれども誰も驚かない、自分と同じような極悪人に囲まれて、本当のことを言っていいところだと思います。

ただ、信心はハッキリしません。1年間くらい聞けばなんとかなると思っていましたが、後から来た人が信心を得ていきます。自分一人が取り残されているように感じます。座談会で、だんだんと周りから何も言われなくなるようになってしまいました。

2019年12月

第53回 松林由美子さん

ご主人が転勤族のため、現在は埼玉県三郷市在住の松林さんです。ご主人の祖父は愛知県の元徳寺(本願寺派)のご住職でした。脳梗塞で倒れ、お寺は休止状態となっていました。

由美子さんが嫁入りして1年後に祖父がお亡くなりになりました。お寺の境内に自宅を建てていた関係で、由美子さんが得度をして、お寺を残すようにします。そのため、由美子さん自身が本願寺派の中央仏教学院の通信を受け始めました。浄土真宗も親鸞聖人も知らないなかでの受講です。1年目のスクーリングで同じ参加者の久保裕子さんから「華光誌」を手渡されます。

翌年、2年目のスクーリングでも裕子さんに会い、二人でお茶を飲んだときに、自分の話しを聞いてもらい、裕子さんからは華光会のことを聞きます。それがご縁で、増井悟朗先生のお話を聞くようになります。これは本当のことを言っていると感じます。名古屋のご同行と、裕子さん含め3人でお茶をした時には、仏教の話はなくてとても楽しく、名古屋の家庭法座に家族で参加しました。

更に、飛騨高山の法座に参加し、東勝廣さん、舟本賢也さんからお勧めされます。これは聞いていかないといかんと決めます。その年の華光大会に、息子さんと参加しました。この法座だけは正座してちゃんと聞こうと思っても、何にもできない、「聞かれへん、聞かれへん」となってしまいます。ご同行の黒河達児さんから「阿弥陀様は何も条件をつけておられませんよ」と言われます。

悟朗先生の分級に入り「阿弥陀様に飛び込むんや」とお勧めされていました。他の人に対してのお勧めでしたが、自分に言われている!と思った瞬間、座談の真ん中に飛び込みました。すると、ドンドン頭から真っ逆さまに堕ちて行く。するとその瞬間、阿弥陀様が現れ、ギュッと抱きしめて離しません。泣きながら念仏が止まりません。「そんなんや、自力はいらんねんやった、そうやった!」と嬉しくて嬉しくて飛び上がりました。

これが、今から20年ほど前のことです。私が求めてだした12年前は、由美子さんは厳しいご同行で、当時は、できるだけ分級が一緒にならないように避けていました。今では、5年程前にうちの家庭法座に参加して頂き、今回は、華光会館での懇親会後に、宿泊場所の聞法会館でインタビューさせてもらいました。

2019年11月

第52回 里明彦さん 下

両親の介護に疲れ果てて、母親に施設に入ってもらいます。ところが施設でパンを喉につまらせ、お亡くなりになります。その2ヶ月後には父親が誤嚥性肺炎で亡くなります。両親の介護中、「早く死んでくれれば」という思い、亡くなって「ホッとした」ことなど心の醜さを知らされます。

再び、救いを求めて法話を聞き歩くようになりました。2018年8月に真言宗の僧侶として得度した妹さんと会った際に、自分の地獄行きを心配していること、兄に対しては宝物は自分の近くにある、考えすぎやときつく言われます。

後生の一大事という言葉にひっかかり、PC検索すると、増井悟朗先生のNHK「こころの時代」が出てきて、伊藤康善先生の『仏敵』が紹介され、早速、取り寄せて読んでみます。

ある日、自宅でステーキが出され、食べようとした瞬間、殺される牛の身を引き裂かれる痛みを感じました。自分は前世で牛であったと思い知らされ、とても食べれません。翌日には奥さんの機嫌を損ねてはと、泣く泣く食べて、地獄行き間違いなしと知らされます。

「華光誌」に載っていた華光大会に思い切って申し込みます。最初の法話後の座談では大人数で話ができなかったので、次の座談では少人数のところに行きます。毛利真之先生と1対1の座談となりました。

まず、自分の思いをぶつけます。その時の毛利先生のお導きがスゴイです。「捨てもの、拾いもの」と小さな声でつぶやき、合掌して「お願いだから私に助けさしてくれ! 必ず救う!」と頭を下げられます。その姿に法蔵菩薩のご苦労を感じ、暗い心、疑いの心がスッカリなくなってしまいました。地獄の底で阿弥陀様は待っていて下さいました。

その後、9ヶ月後の今にいたるまで法悦に包まれています。あまりの有り難さに地下鉄の中で大きな声で念仏を称えていたら、気がつくと半径五メートル、誰もいないこともあったそうです。

朝の勤行は十二礼、正信偈で15分、夜は大経、小経、東方偈、願生偈を1時間かけて、毎日お勤めをしているとのことです。慶びが湧いてきてしょうがない里さんです。

2019年10月

第51回 里明彦さん 上

正定聚の位である記念の51回目(段目)は、彗星のごとく顕れた里明彦さんです。この妙好人列伝では、一応、聞き抜いて3年経過した人という基準を設けています。3年経ってみないと判らないという舟本賢也さんからアドバイスです。

ただ、里さんのお味わいが尊過ぎて、早速の登場となりました。2018年11月の華光大会に初参加して一座での獲信です。今回、「壮年の集い」で一緒に書籍係をさせてもらいました。里さんと初めて親しく接して、お味わいが全て仏様の声に聞こえました。

2019年の永代経で体験発表をして一躍、華光会のスターとなりました。インタビューをお願いしたら、その時の原稿を頂きました。里さんは大阪市都島区在住です。今年、還暦となります。大阪メトロにお勤めです。

「壮年の集い」で、里さんは一座で聞き抜かれたと持ち上げられますが、ご本人にとってはここ10年間の地獄の苦しみがありました。ご長男の高校受験を巡って、家族間で言い争いになってしまい、親子間は断絶、奥さんには口をきいてもらえなくなります。

例えば、会社から帰ってきて「ただいま」と言っても、奥さんからは「うっとうしい」と言われる始末。会話はなく、メモで伝達されます。食事時にはみな別の部屋に引っ込み一人で食事です。

我慢強さに、私なんかは感心してしまいます。それがご縁で仏教を学ぼうと思います。家が真宗興正派だったので、ご住職に相談します。本山興正寺の「華園学院」の通信教育を受け、得度までします。しかし、心は定まりません。家族関係もそのままです。

大阪の北御堂、南御堂、東本願寺のしんらん交流館、S会のビデオなど、いろいろなところで聴聞するようになります。そんな中、母親の認知症が進み、父親も目が見えにくくなってきます。毎日、実家に通い食事をさせ、風呂に入らせ帰宅するという生活が3年続き、仏法から遠ざかってしまいました。

2019年9月