第1回 増井悟朗先生

今月号から始まります「妙好人列伝」。第1回目の登場は、妙好人というよりも、私にとっては善知識になります増井悟朗先生です。

善知識とは、仏法を正しく導いて下さる先生をいいます。反対に悪知識に従っていては絶対に助からないとも言われます。阿弥陀様とのお取り次ぎをされるのが善知識です。

増井悟朗先生は1925年(大正14年)生まれで、2015年6月7日の誕生日で満90才になられました。ほんの数年前まではご法話をされていました。現在は華光会館での座談に時々顔を出されます。私が出会った頃は82才で、当時は毎週のように説法、座談をされていました。

悟朗先生は17才の時に肺結核を患い、懲役検査に受からず、戦時中は療養生活をしておられました。『心に咲く花』という有難そうな本を注文したら、あやまって『仏敵』(伊藤康善著)が送られてきたそうです。

まず書名に驚かれましたが、もっと驚いたのは、想像を絶する信仰体験でした。最初は信長のことを書いた本かと思われたそうですが、著者が仏教大学(現在の龍谷大学)に通っているときの、求道物語が綴られています。

序文に「この書は、3回読んで、3回とも意味が変わらねばだめだ」と書かれており、連続3回読まれます。息子さんの増井信先生のお話では、この3回というのは、信前・信一念、信後のことだそうです。

「もし獲信できずば、治病すとも床から立たじ」の決意を固め、3ヶ月ほどの求道のすえ、翌年2月に獲信されます。この時のお話は、座談のなかで何度も聞かせて頂きました。

悟朗先生にとっては、伊藤康善先生が善知識となられます。「華光誌」を創刊されたのが伊藤先生。「華光会館」を創設されたのが悟朗先生となります。

悟朗先生の座談は厳しいものでした。求道中は、先輩からの勧めもあり、悟朗先生の座談にばかり参加していました。今年の永代経の座談では厳しいご指摘を頂き、つまらんこと(世間事)を話してしまったと反省しました。まだまだご健在です。

2015年7月

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