2021年 の投稿一覧

第40回 大山拓也さん

千葉県柏市の大山拓也さん、2018年で42才です。昨年の北海道聞法旅行では奥さんの位枝さんと参加していました。手をつないで観光しており、仲の良さに感心しました。結婚14年目になります。

日大1年生の時にS会に縁があり、14年間在籍していました。静岡大学大学院で放射科学を専攻し、博士課程では2年半、理化学研究所で研究していました。S会が「安心弁当」「安心旅館」を出すにつれて疑問に感じ、距離を置くようになります。

10年前に、位枝さんがネットから華光会を見つけてきます。その年の4月の東京での2日間法座に初めて参加します。増井悟朗先生の座談で「信心決定しに来ました」と発言すると、シーンと白けた雰囲気が流れます。「あれ?みんな違うのかな?」と不思議に思います。

初日だけで帰ろうとすると「あんたノンビリ屋さんやな」と悟朗先生から言われます。その言葉に引かれ2日目も参加します。信心決定ということを勝手に自分で作り上げていたことを知らされます。しかし、喜んでいる人がたくさんいることに驚きます。

引き続き、5月の華光会館での永代経に参加し、二股は良くないとS会を退会します。それから集中的に土日ごとに各地のご法座にお参りします。それから3年間、ご法座に出続けますが、アレコレと思っているだけで進展はありません。増井信先生からは頭で考えているからポカーン状態なんだといわれます。段々とイヤになり投げだしたくなります。

瀧山さん司会の分級の時に、わからないままで、そのままが阿弥陀様の救いと思い知らされます。一瞬、何が何だかわからず意識がなくなりますが、南無阿弥陀仏で腹一杯になっています。ご法話は、自分のことを言われているんだなと実感します。松岡先生からは聞く耳を頂いたなと言われます。全部、逆だったんだなーと知らせて頂きました。

最近は、会館でも東京でも、奥さんとご一緒に仲良くご法座にお参りしています。

2018年10月

第39回 古澤カツエさん

新潟県十日町市の古澤カツエさんです。カツエさんのお母さんが、新潟の本屋さんで伊藤康善先生の『仏敵』を見つけ、どうしても伊藤先生に会いたいと京都まで行ったそうです。

興正会館に泊まり、聞かせてもらうまでは新潟に帰らないつもりでした。その1回のご縁で聞き抜かれます。お母さん19才の時です。そのお母さんに育てられ、法は聞かなくちゃ、聞かなくちゃと思い込みます。口癖のように「お前は可哀想だな、死んだら私と一緒のところに行けんね」と言われ、無性に寂しい思いをします。

カツエさんは小学校の先生になりたく、京都女子大学に入学します。お母さんのご縁で、華光会館に下宿するようになりました。短大のため2年後には新潟に帰らなければなりません。京都にいる間に聞かなくちゃと思いますが、なかなか聞け開けません。

いよいよ卒業が迫ってきた頃、当時、獲信者が集まっていた江原(現豊岡市)のご法座に行かれる増井悟朗先生に同行します。それまでは、自分の力で聞かなくちゃと力んでいました。自分で聞き抜くつもりでした。

早田節代さんのお宅で、自分でなんかとなると思っていたことが通用しないことを知らされます。自力が崩れ「阿弥陀様に抱かれたままどこまでもどこまでも落ち続けている私がありました」とカツエさんは述懐します。早田さんから、「それにしてもお念仏がでないね」と言われ、仏壇の前に連れて行かれ、念仏を称えます。当時、カツエさんは20才、60年前のことになります。

数年前の真宗法座の集いで古澤さんと同じグループになりました。その際には、息子さんのことをいろいろと心配されていました。今では一人住まいで、日々「世間虚仮 唯仏是真」を実感する毎日だそうです。

北陸新幹線が開通して、かえって京都に出にくくなりました。2年前の京都聞法旅行の宴会の出し物では、司会の二三代さんによれば、古澤さんが特に印象的だったそうです。

2018年9月

第38回 中村寛さん

東京都調布市の中村寛さん、2018年現在、68才です。防水・内装工事の家業を引き継ぎ、社長業をやっていました。52才のときに母親が79才で亡くなります。浄土真宗の檀家でしたので、お寺で親鸞聖人の教えを聞きますが、救われません。教えを聞かせてくれるところ探し求めます。

インターネットで、真宗カウンセリングをしている人の掲示板で、舟本賢也さんなどとご縁ができます。話している内容は間違いないとは思いますが、チンプンカンの状態でした。

東京での増井悟朗先生の法座に誘われます。数百人は参詣者がいると思い、法座の前に面接もあるのではと身構えていくと、参加者は30名程度であっけにとられます。法座では「如来の遺弟悲泣せよ」の法話を聞き、ショックを受けます。自分が助かることしか考えていないと恥ずかしくなり、出直すしかないと思います。

1日中、念仏を称えて聖教を読みます。食事もせずに念仏を称えます。獲信しないとお母さんを救えないと、4日間必死で行い、精魂尽き果てます。これ以上はムリと、疲れてソファに座っている時、ビジュアルで黒いものが近づいてきました。それが地底まで続いている。これが自分だ!と感じます。

自分の中に仏性があると思っていましたが、オレがオレがの心しかありません。自分はもう終わりだ、残されたのは自分の後生だと悲歎したとき、真っ白いものが飛び込んできました。あまりに突然のことで、その瞬間驚くだけでしたが、数秒後に阿弥陀様の心と感じます。お聖教を読むと、お心がスーッと入ってきて、涙がポロポロでます。

これは何だろう?意味を知るため、もう一度3日間念仏・聖教読みをします。阿弥陀様が自分を捕まえたことが判ります。3日やって間違いないとなり、悟朗先生にお手紙を書きます。先生はとても喜ばれたそうです。まさに早く信心頂く、頓機の方です。

2018年8月

第37回 下入佐隆博さん 下

「永代経」から日常生活に戻っても、日々が空しいという気持ちはなくなりません。ただ、聞きたいという気持ちが強くなります。通勤の行き帰りにも念仏を称えていました。勧められたことは何でもやろうと思います。

半年後の華光大会での御満座の増井悟朗先生のご法話で「頭で考えるから聞けんのや!」と言われ、ハッとします。自分はこれまで考えて判断して生きてきた。しかし、仏法ではこれが通用しないと知らされます。

何を考えても壁にぶつかります。この精神状態では生きていけない。ボーッとした状態で松岡先生の座談にでます。他の人が勧められているときに、あなたも念仏しさないと言われると、念仏が溢れてきます。喉が壊れると思うくらいに出ます。涙も、なんでこんなに出るんだというくらい出ます。

松岡先生から「どうですか?」と聞かれても、「何もないです」「そうだろう。何もないんや。チカラないんや」と言われます。自分が判っていないことにギャップを感じ、信心がゆらぎます。しかし念仏は出てくる。悟朗先生に相談すると「聞き方が足りん。ところどころを聞いている。自分のことばかり見てる」と言われます。

心がざわつき気持ち悪かったところに、蛇が出てきてとぐろをまいているのが見えます。自分の業で苦しんでいるにもかかわらず顔は笑っている。気持ち悪いけれども、本当の自分の姿だと気付きます。体がなくなり、脳がなくなると、こいつが残って流転していく。地獄行きは当たり前、喜んで堕ちていく、聞きたくなくてニヤニヤしている。

そういう私がいるから本願を作らざるを得なかった。本願を建てさせた張本人が自分だと知らされます。救われようとしていた自分が恥ずかしくなりました。

その1年後の下入佐さんの体験発表は、当時、救われたいとあがいていた私に大きなキッカケを与えてくれました。今回、東京法座の懇親会で詳しく聞かせて頂きました。

2018年7月

第36回 下入佐隆博さん 上

神奈川県の下入佐さんです。出身は鹿児島市で、巨人の定岡、サッカーの遠藤保仁選手で有名な鹿児島実業高校が母校です。昭和39年生まれです。日本有数のメーカー工場で、エンジニアをしてます。20代後半にS会で3年程聴聞していました。後生の問題は未解決のままです。

23才で結婚し、仕事と子育てに追われます。息子2人が野球をやっていたため、その世話で息子たちのおっかけをしていました。ところが、高校入学時、大学入学時に2人とも同時に野球を止めてしまいます。

むなしさをごまかしきれずに、仏教を聞かなければと思います。ネットで「火の車作る大工はあらねども己が作りて己が乗りゆく」で検索すると、華光会の誌上法話にヒットしました。5月の「永代経」前で、これを逃したらいけないと思い、奥さんに「どう思う?」と尋ねると「行ってみたら?」との返事。思い切って参加することにします。

衝撃的でした。新しい人が入ってきたと同行の視線を厳しく感じます。増井悟朗先生は演台の前に座っている下入佐さんに身を乗り出して話されます。まず増井信先生の座談に行くと「仕事も大事、家庭も大事、仏法も大事。ここじゃなくてもいいんじゃないの?」と言われます。

次に悟朗先生の座談では「何しにきたん? 出て行きなさい」と叱られます。お前は仏法を聴く資格がないと突き放されたようで、辛くて外に出て泣いたそうです。聞くしかないと思いますが、奥さんに電話して「帰ろうかな?」と相談します。「帰ってきたら」と言われ、帰るつもりでいたら、同行さんから「あら、悟朗先生の分級にでないの?」の声にまた座談に出ることになります。

座談で念仏を勧められますが、強制されて称えたくはないと思います。しかし、喜んでいる人がいる。ここで聞いていこうという気持ちになっていきました。

2018年6月

第35回 浦田鈴香さん 下

金山先生の仏教勉強会に毎月参加していると、スゴイ!だんだん阿弥陀様が指さして自分のことを言っている、思ってくれていることを感じだします。阿弥陀様は応援してくれていると、ルンルン気分で目からは涙を流しながら、自転車で帰っていました。その当時、講座の最中に目頭を押さえて聞いている姿が印象的でした。

そのルンルンが今度は私が地獄に堕ちるんだという聞き方に変わっていきます。2015年12月から仏教を聞くのが苦しくなってきます。ただ好奇心だけで勉強会に来たはずなのにと、すずさんはよく座談で言っていました。求道になってきていました。

ニセモノの自分は全部ウソだった。ケシゴムで消したい!と思います。その夏に本当につらくなり、丁度送られてきた『ヤマサキズム』に福岡の有田さんが妙好人として載っています。そうだ、有田さんに聞いてもらおうとお店に行きます。ところが有田さんは傷に塩をぬるような、鬼のようなお話をされたそうです。

帰りに増井悟朗先生の「ご恩と罪悪」という誌上法話のコピー10頁をもらいます。少し読んでは、自分の身を考え、遅々として進まず、読み終えるのに2週間かかりました。まさに「聞思して」です。読み終わった瞬間、何も聞いていなかった、わかっていなかった。毎月ちょっと来ているだけで何様と思っているんだと、大笑いします。

それなのに勉強会の人たちは毎回、ようこそ、ようこそと迎え入れてくれていた。これは謝らないといけないと強く思います。その月のうちの家庭法座で金山先生の車で懇親会場の『あり田』に移動するときに、たまたま助手席に座ることができたので、「何も聞いてこなくてすみません」と謝ります。金山先生から「ここにニコニコしながら来るのは浦田さんぐらいですよ」と言われます。

すずさんは最近、会うたびに「山崎さんと遇えてよかった。遇わなかったら、また迷いを繰り返すところだった」と言ってくれます。ニュースレターが取り持った阿弥陀様とのご縁です。

2018年5月

第34回 浦田鈴香さん 上

福岡県福岡市のすずさんです。出身は福岡市西区の玄界島で、2005年3月の福岡県西方沖地震では、家屋の約7割が全半壊となり最大の被災地でした。すずさんは現在、福岡市で企業の支店経理・総務の仕事に就いています。

お母さんは神棚・仏壇に毎朝参る信心深い人で、仏教は宗派にこだわらず『般若心経』を毎日あげていました。お陰で、すずさんは今でも『般若心経』を暗唱しているそうです。

すずさんは30代半ばから、いろいろなことを知りたい欲求が強くなり、いろんな人の話を聞きに行きます。そのうち、自分がスゴイ!と思う科学者や文学者たちがことごとく仏教の話をするので、これは何なんだと思います。

そんなに仏教に興味があるんだったら、福岡県の篠栗町に行ったらいいよと勧められます。篠栗町には真言宗の南蔵院など多くの寺があります。それからはお寺巡りが趣味となり、お寺・仏像を見て、仏様のお話を聞きます。しかし仏教を学ぶにしても、どこから勉強したらいいか判らないし、手をつけたくない気持ちが出てきます。

私とは読書会で一緒になり『月刊ヤマサキズム』を送っていました。それににA4 1枚の金山玄樹さんの仏教勉強会の案内が入っていました。金山先生は若そうだけど本職の僧侶なので、見た瞬間、行こう!と思います。それが4年前のことです。それから2回休んだだけで(うち1回は日程間違い)ほぼ皆勤です。

ほとんど飛び入りですずさんは参加してきました。当時の印象は、ニコニコ楽しそうに毎回参加しています。すずさんの方は、その時の自分が持っていた疑問に対して、毎回、質問もしていないのに、何故か金山先生が講座のなかで答えてくれるので、面白くってしようがなかったそうです。その聞法がだんだんとつらくなってきます。

2018年4月

第33回 孤杉信子さん

孤杉英章先生のお母様の信子さんです。教行寺(大谷派)の坊守さん(ご住職の奥さん)です。伺った時は、ご門徒さんの逮夜参りから戻られたところでした。

ご実家は真宗興正寺派のお寺です。小さい頃から、お母さんに付いて多くの寺参りをしていました。実家のある八木町から電車で5分の大和高田市のガラス屋さんの家庭法座では、毎月19日、伊藤康善先生のご法話を聞きます。伊藤先生は栗のように黒い顔で面白い先生だったそうです。

勉強ができて、高校では「陸の女王」(スポーツ万能)といわれていたお姉さんと、両親の4人家族でした。とても可愛がられて育ちます。高校生の頃はふっくらとして「お月さん」と呼ばれていました。

奈良教育大学に進学します。その頃、高田の御坊に5日間(午前は講義、午後は説教)や八尾別院(夏休みに宿泊してこれも5日間)でたっぷり聴聞できました。卒業後、小学校の先生を20年間勤めます。その間、6人兄弟の長男となる御住職(現在)と結婚し、25才で長女を、28才で英章先生を出産します。

増井悟朗先生が教行寺にはじめて来られたのは1991年9月の秋季永代経でした。それ以来、1年に1回来て頂きました。法要の翌朝、先生の朝食の時間は、信子さんにとって二人だけの至福のときでした。

31才の時に小さな手術をし、病院からタクシーで実家へ直行、すると永代経が勤まっていました。翌朝、目覚めるなり本堂へ行きました。あとから本堂に来た吉阪布教使(女性)にアミダ様のことを聞いてみようと思いました。5分間ぐらい話しているうちに突然、頭の片側がもやで覆われ、もう半分の頭が何やらつぶやいている。「ああ、このままやったんか。このままでよかったんや!」。突然、念仏がほとばしり止まりません。号泣も止まりません。天にも昇る心持ちになりました。

悟朗先生は信子さんにとってアミダ様、アミダ様の化身だったのです。何と勿体ない、申し訳ない。ありがたいの他はありません。ご自分のことはほとんどお話したことがないとのことですので、貴重なお話を聞かせて頂きました。

2018年3月

第32回 嶋田久義さん

2018年1月9日にお亡くなりになった嶋田久義さんです。68才でした。昨年末に完成したばかりの「あなたの白道」を送って頂き、1月17日に福井赤十字病院にお見舞いに行く予定でした。航空券も予約していたので、予定通りに福井に行き、ご自宅にお参りいかせて頂きました。飛び込みで行きましたが、丁度、奥様の幸美さんが仕事から戻ってきたところでした。

お話を伺うと、一昨年の年末に間質性肺炎と診断され、かなり深刻な状態であると告げられます。1ヶ月半の入退院生活の後、入退院を繰り返し、急性増悪を発生したとのことです。

嶋田さんとは、私が10年前に華光会に初めてご縁が遇ったときに、23年振りにお会いしてビックリしました。嶋田さんご夫妻もその年に華光会とご縁を結んだところでした。

嶋田さんの生い立ち、求道遍歴は「あなたの白道」に詳しく記されています。華光会では、幸美さんの方が早く聞き抜かれ、嶋田さんご本人は相当に苦しそうでした。それでも、それから半年後の華光大会のときの増井悟朗先生の分級座談で、御名号の前で念仏し信心をいただかれました。

御名号の前で手をついて頭が下がったままの状態で分級が終了し、嶋田さんに近寄って「おめでとうございます」と声をかけました。しかし、嶋田さんは「違う!違う!」と頭を振っています。1週間後、華光会館の聖典講座に奥さんだけ参加され、お尋ねすると、「あれからお互い話し合ったら、間違ってなかった」とのことです。

次の年の嶋田さんからの年賀状には「摂取不捨とはこういうことだったのか!」と記されていました。幸美さんによれば、かつての仲間のことをずっと心配し、気にかけていたとのことです。還相回向のご活躍をされていることでしょう。

2018年2月

第31回 北島登美子さん

奈良県生駒市の北島登美子さんです。芋が大好きで、小さい頃は「イモ姉ちゃん」と呼ばれていたそうです。大阪で生まれ、4才の時に父親が亡くなり奈良県大和のお母さんの実家で育ちます。西光義敞先生の室生村の隣村です。賢い子と褒められ、おやつがもらえるので、万行寺含め2 ヶ寺に参るのが楽しみでした。

北島さんが小学2年生の時に、お母さんが大阪の工場に働きに出ます。離れ離れになり、大変、さみしい思いをします。成人し、お母さんのご紹介により結婚して大阪で母親と同居を始めます。ところが、あれだけ恋しかったお母さんを邪魔に思う心がでてきます。

そんな自分の心がイヤになり、これではいかんと思っているところに、祖父に仏法を勧められます。祖父は法を歓んでいる剛信な方で、西光先生経由で華光会にご縁を結んでいました。

現在の生駒市の家を、余った木材で祖父が建ててくれます。祖父はガンを患っていましたが「これは仏法を聞くための木やぞ!」と強調し、これが契機となって華光会にお参りするようになります。祖父が亡くなり、お葬式のときは普通でしたが、荼毘に付すときに、紫の煙が登美子さんの目には見えました。これは聞かんといかんと思います。

華光会にご縁があったのは、悟朗先生の長女の増井聞子さんが成人式の頃です。間もなく聞き抜かせてもらいます。周りの皆があれだけ苦しんでいるのに、こんなに簡単に頂けるものかと、一旦は信心が崩れます。更に聞かせてもらううちに、私は楽(らく)でないと聞けない者だと思い知らされます。

聞かせて頂いてからは、2ヶ月間、身も心も浮ついて、「聞いてもらいたい!」という強い気持ちが起こってきます。家庭法座は30年以上、毎年開催し、法は祖父、お母さん、登美子さん、娘さんと相続しています。現在は6人のお孫さんに華光会の子ども大会などを通じてお勧めしているところです。

2018年1月